ネオ自民党

オークランドでは、同じレストランにでかけても、味もサービスもまったく異なるものになっていることがよくある。
「ビジネスブローカレジ」(←英語の会話では聞かれない表現だが日本語のカタカナにすると他にいいようがないのが面白い)が発達しているからで、たとえば自分で10年前にラーメン屋を始めて、そこそこうまくいっているが、もうラーメンをつくって暮らすのは飽きたので、ラーメンは食べるほうだけにして、今度は画家になりたい、というような場合、ビジネスブローカーに頼んで、レシピ、仕入れ先、というようなものまで含めてすべて込みでラーメン屋をやってみたい人に「ビジネスごと」売ることが出来る。
日本でもたしか1990年代に営業権の売買をしてもいいことになったので法律的には他国なみにビジネスの売り買いが可能なはずで信用金庫やなんかでビジネスブローカーを部門として持っているところはあるが、ニュージーランドのように店頭にビジネス売買の写真がいっぱい貼ってあって「デイリー、現況売り上げ年8万ドル、7万ドルで売ります」と書いてある、というふうにはならなかったようです。

自民党は、もともとは政治学者にとっては大変興味深い政党で、どのくらい興味深い政党だったかというと、たとえば宇都宮徳馬というような自民党代議士のことを考えると直ぐに判る。
戦前、河上肇に師事したマルクス主義者として出発した宇都宮徳馬は京都大学時代には2階の教室から警察官たちに椅子や机を投げつけて抵抗するというような武勇伝を残したあとに治安維持法で逮捕投獄されると転向するが転向後は今度はばりばりの国家主義者になってしまう人が多かった日本の他の転向共産主義者とは鮮明に異なって、現実主義者の宇都宮徳馬は「表向きだけ転向して」内なる共産主義を育て上げ、年齢を重ねれば重ねるほどチョー過激な共産主義者になっていきます。

満州事変が起きると、当分、日本は戦争ばっかりやるに決まってる、と考えた宇都宮徳馬は軍事産業に株式投資してボロ儲けする。
今度は、その資金を使ってミノファーゲンという肝臓の薬をつくる会社を設立して、株式投資であげた利益に数倍する利益をあげる。
ミノファーゲンがバカ当たりしたあと、「しめしめ、これで革命資金が出来たわい」と思ったでしょう。
戦争が終わった1952年になると、日本共産党や社会党の観念的で反革命的な体質を知り抜いていた戦前からの筋金入りの共産主義者宇都宮徳馬は、現実主義を政治の場でも発揮して自民党から東京2区に出馬して当選する。

この人についてのwebページ記事を見ると「最左派のために党内から孤立していった」と書いてあるが、なにしろ自分がチョー過激な共産主義者であることを知り抜いているこの人は別段に「孤立した」という実感はなかったでしょう。
初めから党内に同志をみいだす、というような考えはなかったように見える。
衆院議員としてキャリアを積んでいったのは、まったく別の理由に拠っていて、日本の外にあって、日本では自民党を相手にする以外には実効的な政治活動は出来ないことを知悉していた外国の共産主義者たち、すなわち中国共産党の中国との国交の正常化、というようなことを表面からは見えない世界ですすめるためだった。
実際、この人が自民党のベテラン議員としてつくった人間関係を通じて、たくさんの中国通の人材がNHKをはじめとした日本のメディアや大会社、コネ採用しか考えていないような機関や会社に入っていく。
一方では、むかしは華僑と呼ぶことが多かった在日の中国人ビジネスマンたちとも「腹を割って」話し合い、手分けして活動して、田中角栄の日中国交正常化に結びつけてゆく。
具体的なことはブログ記事に書いていいようなことではないので書かないが、昔からアジア外交に通じている人達にとっては常識にあたることのようで、インタビューしてみると、何の記録もない、起こらなかったことになっているはずのことを、案外とニコニコ顔で話してくれたりして、「歴史は必ずふたつ存在する」と述べた歴史学者の言葉をかみしめたりした。

1955年に保守合同で出来上がった自民党には宇都宮徳馬とともに岸信介もいた。
いまの日本国首相安倍晋三のおじいさんです。
東條英機たち大日本帝国陸軍将校団と結んで日本の行政を牛耳っていた国家社会主義官僚群のチャンピオンで、実際、戦争中の1941年にはいまの経産省大臣にあたる商工大臣として軍国日本の経済を企画して、1943年に日本が持つすべてのリソースと産業の力を戦争に注ぎ込む「総力戦」であることが明らかになると、東條英機が兼任した軍需省大臣に次ぐナンバー2として辣腕をふるう。

右翼、左翼というのは日本では途方もなく不適切な実情にあわない言葉で、常に日本の政治を見誤らせる原因になってきた言葉だが、どうしてもそういう言葉を使いたければ左翼も左翼、左翼の左のはしっこの、もっとずっと左にいて、全共闘の理論家もあきれかえるような、チョー左翼の宇都宮徳馬に対して、こっちはまたまた右翼よりもずっと右にいて、あとでリー・クアンユーが採用して、それを見習った香港も成功したので、自分達も取り入れることにした中国共産党がいまこの瞬間にとっている経済のつくりかたの手法は、よく考えてみると、皮肉にも岸信介たちが考えた国家社会主義経済手法だが、その産みの親の右翼よりも右にいる岸信介も同じ船にのっているという奇妙な政党が自民党だった。

自民党が左の端っこから右の端っこまでの政治信条の人間がいる奇妙な政党になった理由は、政治の表側からは見えなくて、たとえば後藤田正晴の伝記をよく読めば、ようやくうっすらと見えてくる日本の政治の姿、特に、選挙はオカネがかかりすぎる、ということにいきつく。
政治の世界では田舎の小村から大都市まで、おいてけ堀の手のひらのように国民がいっせいに手のひらを突き出して「くれくれ君」をしているという図式があって、日本にいたときに選挙の頃に田舎をクルマで旅行すると、相手が外国人である気楽さで、
「あらあー、あんた、ガイジンなのに、そんなことまで知ってるのー? ソ連のスパイなんじゃない? あっ、もうソ連ないのか」はっはっは、と怖い冗談をとばしながら、
「あのHさんて人はね、もうダメなのよ。ご祝儀も昔は万札が二枚はいってたけど、今度は五千円だから。勢いがない。年をとるとさびしいもんよねー、てみんな
言ってるの」と言うおばちゃんおじちゃんたちがたくさんいたし、義理叔父に至っては某県某町の町道を運転していたら向かいから軽トラックを運転してきた別荘出入りの顔見知りの大工のじーちゃんが何を勘違いしたのか、「あんた、こっちから来たんだったら、選挙、Kさんだろ? あのひと、もうダメだよ。ダメ、ダメ。このあいだの選挙のときは出すひるめしも鯛のおかしら付きで、毎回、ご祝儀袋もたんまり出たけど、今度はしみったれて、一文もださねえ。KさんなんかやめてM先生のほうに鞍替えしないと損だよ!」と言われたと述べてげんなりしていた。

自民党は巨大な「マネーバッグ」で、いろいろな思想の持ち主や、思想がない政治家や、たいしてカネをまかなくても票が期待できる安上がりに員数をあわせるためのタレント、宇都宮徳馬や藤山愛一郎のように自前の財産はあるが、マネーバッグとしての自民党の巨大な規模とオカネだけの結びつきであるがための「政治信条や思想はどうでもいい」政党内の空気のせいで自民党に党籍を持っていた人もあわせて、「オカネでまとまっている集団」として存在していた。

存在のありようは「この世はカネさ」で下品だが、当時の世間で悪く言われたほど悪いことばかりではなくて、なにしろカネさえ集まってくれればなんでもいいや、というありようだったので、アメリカが突然日本を公然としかも明瞭に裏切って頭越しに中国と国交を結んでしまったりしたときには、党内に中国共産党の要人と秘密裏に通じている議員や台湾派、アメリカ通、通常ならばありえないバラエティを自前でもっていることが、たいへんな幸運として機能した。
あるいは政策的にも自民党内部にさまざまな派閥があって、憲法第9条ひとつとっても、明日にも徴兵制をやっちまおうと思っている中曽根康弘のような代議士もいれば、そんなことばかり言っているからきみはダメなのさ、と考えている田中角栄や大平正芳のような代議士もいた。
しかも、代議士の数を読みあいながら、まったくの敵同士が手をつないで連合したりもして、自民党の党内だけで「政治」が存在するような奇妙な図式になっていた。

悪い方は、日本の政治からは本来の意味での「野党」というものがなくなってしまったことで、自民党が「オカネだけのまとまり」のなかで十分すぎるくらいの政治的バラエティを持ってしまったために野党のほうは「現実および現実主義に反対する党」というようなおかしな立場になってしまった。
土井たか子などは、いまでも北朝鮮について述べたお伽噺のような認識のせいで笑い話になっているが、その遠因は、要するに現実を扱いうるような思考を持った人間は「野党」ではありえない、という当時の日本の特殊な政治事情にある。

自民党の落日の始まりは、田中角栄がオカネ集めに有能すぎたことで、毎日お昼になると鬱勃とした性欲が堆積して気が狂いそうになるので赤坂の芸者に「布団のなかにはいって待っててくれ」と頼んで、せかせかと出かけては短い昼休みにイッパツやってからでないと午後がおくれなかったという、この異常な精力家は、ふつうのビジネスでは失敗ばかりだったが、政治というからくりからオカネをひっぱりだしてくることにかけては天才的な腕前をもっていた。

後藤田正晴は、警察向きな、極めて明確な判断をもたらす知性をもった官僚人で、好戦的な政治家たちが憲法第9条を改正することが出来なかったのは半ばは、この切れ味の鋭い論理の感覚を持っていた官僚政治家が護憲の鬼のような姿で憲法の門前に仁王立ちしていたからだが、この人の明瞭な日本語が田中角栄のロッキード汚職や自分がはじめての選挙でオカネをばらまきすぎて金権候補と名指しされたことになると途端に訳の判らないモグモグ語になってしまうのは、ほんとうは「だって、あんた、日本の政治家であるかぎり、みんながやってることなんだから仕方がないじゃないか。日本では日本共産党員か創価学会員でないかぎり、オカネの泥沼のなかで何億かをつかみだして、それを選挙民に向かってばらまく以外には政治家になる方法が他にはないのは、政治家なら誰でも知っている。つまりは、国民の卑しさが悪いのさ」という「ほんとうの気持」が言えなかったからである。

人心にしろなににしろ、万事、本質をつかむのが早かった田中角栄は、「政治はカネだ」という明瞭な「自民党の理屈」を呑み込んで、誰よりも効率的に処理して権力を積み重ねていったが、ロッキード事件で有罪になってからは、高層ビルの屋上の端っこに追い詰められて、なおも胸を押されて爪先だちしている人の必死さでオカネを集め議員を増やしていった。
その結果困ったのは自民党内の多様性のバランスが壊れて、ほんとうに政党みたいなものになってしまったことで、その瞬間から自民党は政党としての本質の最奥からふきだしてきた腐敗ガスによって自らが窒息してゆく。

多分、あいつらじゃダメだが、もう、ここまで来てしまえば仕方がない、現実処理能力のなさには目をつぶって二大政党制を自分たちの力で生み出すためにイチかバチかやってみるほかにはない、と悲壮な決心を固めた日本人たちが民主党に投票して、大勝した民主党が浮かれて愚かな夢に溺れていたころ、自民党は、「たかが民間銀行風情」の某市中銀行に政党としての借金の返済を恫喝的に迫られるほど落ちぶれていた。
マネーバッグから借金バッグに変わった自民党からは、ひとりふたりと「オカネにだけ用事があった」ひとびとが離れて、あとに残ったのは岸信介の孫を中心にした赤穂浪士じみた議員たちだけだった。
この頃の自民党議員たちは、頭数で借金を割るといくらになるのだか忘れてしまったが、たしか何億だかの借金を論理的には負っていたはずです。

そうやって看板は「自民党」だがまったく内容は異なる、むかしの国家社会主義の夢に極めて近い夢をみる人間の集団として自民党は政権に帰ってきた。
安倍首相の第一期目の失敗は、自分が本来やりたいことである、「強い日本」「海外で肩で風を切って歩ける日本」「若者が国を愛し、日本を愛し、そのためには死もいとわない美しい日本」の実現に夢中になりすぎて、経済はどうでもよくなってしまい、選挙での姿を思い起こせば安倍晋三も気がついたはずの、見渡す限りの「美しい日本」から突き出された「くれくれ君の手のひら」の持ち主たちを失望させてしまったことだった。
まずアベノミクスで、くれくれ君たちにオカネをつくってあげねばどうにもならない、というのがネオ自民党の領袖たる首相の決意で、それが出来上がってしまえば、あとは軍備も海外派兵も憲法の改正ですら夢ではないことを安倍首相は学習して戻って来ている。
しかも自民党はもう自民党でなくなってしまっているので、自分に逆らうものなどいないのを、この人は熟知している。

自民党は1955年以来、あまりにながいあいだ日本の政治そのものの名前だったので、いまでも大半の日本人が、富士山が噴火しないのと同じように自民党が日本を戦争の悲惨に突き落とすことはない、と信じている。
名前が同じ「自民党」であることには、たいした力があるもので、日本人は、自分が「自民党」であると思って眺めている政党が、むかしの「自民党」とは似ても似つかない、「ネオ自民党」とでも呼ぶべき政党になってしまっていることに気が付いていないのではないだろうか、と思うことがある。
そういえば鈴木宗男という人は自分が罪人になって公職に立候補できないので同姓同名の人を立候補させるという面白い手を思いついたが、経済ではビジネスブローカレジはうまくいかなくても政治の世界では上手なものだ、と、オークランドのCBDのレストランで、とんでもない高い値段になって、そのうえ突然まずくなったパンプキンスープを食べながら、日本人の知恵に感心してしまう。
日本で下品なひとびとが起こすことには、なぜかいつも哲学的な味わいがあるのは、どういうことだろうと考える。

(それにしても、こんなウォッティ缶スープよりも不味いパンプキンスープに15ドルなんというベラボーな値段をつける奴って、どういうコンジョをしているのだろう)
(うー。ステーキの値段も二倍になっておる)
(ぐわあああああああ)

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