いつかどこかで

その「種族」は国籍を超え、言語を超え、人種も性別も超えて、世界中に分布している。
特別な名前は付いていないが、お互いにそれと知っている。

きみには「現実を忘れてしまう」という愉快な癖がある。
今日こそははやくベッドに行くぞ、と決意して机の前に座ったのに、またいつのまにか午前3時になっている。
明日は7時に出かけなければならないのに、どうすればいいか、悩み始める。
いっそ眠らないででかければどうか。
それとも、さぼっちゃえば。

そうやって世間のほうの時間を考えるのが面倒くさくなって、きみは机の上に広がった、ノートブックや本や、いくつもウインドウが開いているコンピュータの画面に帰ってゆく。
よく考えてみれば、そんなことばかりやっているのは「破滅型」の人間というべきで、実際きみは社会的には不適格者だと思うが、それでもきみが檻のなかで過ごさないですんでいるのは、抜群の知能と、パズルみたいなものなら熟練の鍵職人のように、あっというまに解いてしまう不思議な能力のせいである。
子供の時から自然と身についた「処世の知恵」は、試験という試験、選別という選別には嫌がらずつきあって、そこで楽勝してみせることだった。

試験の回数がつみあがってゆくことによって、きみに判ってきたのは、あのくだらない選別にも良いところがあって、まず多少とも調子っぱずれのきみに対して世の中のひとはあんまり文句を言わなくなる。
もうひとつは、学校が上の段階に至るに順って、似たもの同士、というかきみと同じように頭がいかれたやつが同じ教室のなかに増えて行く。

70年代を通じて、アメリカ合衆国の学校でのイジメの理由の1位は「脇の下が臭いこと」で、次が「数学ができること」だった。
なんだか冗談みたいだが、数学ができるせいで自殺しなければならなくなった高校生もいた。
その頃のアメリカでは公立高校みたいなところで数学が出来るのは「せこいやつ」でクールでない、ということだった。
きみの種族の一部には、数学が(大きい声では言わないにしても)レモンメレンゲよりずっと好きだという訳のわからない人間がいる。
当時は、そういう人間は息を殺すようにして、ボストン郊外のケンブリッジという町にあるMITという巨大なキチガイ部落をめざしてベンキョーした。
そこにさえ辿り着けば、フットボールと女の子たちを「やって」しまう以外に才能なんてなにもないバカタレに胸ぐらをつかまれてネットにおしつけられたり、悪罵に我慢できなくなって立ち向かったあげく、校庭の砂をかんで、「クールガイ」たちの嘲笑を聞いたりしなくてもいいと誰かが言っていたからである。

はいってみれば、実際そこは天国で、きみはすっかりコーフンしてしまい、大学に近い橋が「なんひきずり」であるか実地に検証するために、級友をひきずって「ひきずり」の数を橋に刻みつけたり、やたらとモンティパイソンのセリフがはいる土曜の夜のバカ騒ぎに熱中して、テーブルの上にとびのってビーチボーイズのカラオケを熱唱したりした。

あるいは80年代の東京のきみの種族は、そもそも「制服」というものが嫌なのではいった6年制の中学から、やってるんだかやってないんだかいかにも判然としない学校にのらくらと通いながら、物理部無線班の正しい伝統に順って、ハンダゴテをにぎりしめ、昨日京橋フィルムセンターで見た小津安二郎の映画や、「博士の奇妙な愛情」について、友達ときゃあきゃあ言いながら冗談に打ち興じた。
東京大学に行ったのは、要するに「バカと会いたくない」というきみのだいぶん尖った、社会の大半をなしている人間への敵意のせいで、しかし、問わず語らず、きみの友達の大半も同じ理由で他の大学には行きたくなかった。

いざ大学にはいると、今度は同じ高校の友人たちもだんだんに色あせてみえて、ひとりでいることが多くなった。
お茶の水から坂を降りて、神保町の町へでて、一誠堂や東京書店を巡って歩くのがきみの習慣になった。
夕方には、井の頭線に乗って家に帰る。
急行がとまらない小さな駅で降りて、
今日こそは熱力学に決着をつけてくれるわ、と考える。

大学に行ったのが就職のためなんかでなかった証拠には、きみは修士課程を終えると社会に背を向けるようにプーになってしまった。
友達が嫌らしい笑顔で「将来どうするんだい?」と訊くと、興味すらなさそうに「飢え死にするから良い」と答えた。

90年代の後半にイギリスという国で人になりつつあったきみの種族は論外で、ゆるやかにひろがった広大な芝生がある家で、のんびり寝転がって青空をみている。
ときどき芝の上をころころ転がったり、何をおもったか「でんぐり返し」をしたりしている。
やっていることだけ見ているとバカみたいで、実際にもバカなのかも知れないが、本人の頭のなかは割と真剣で、「自分がなにをしたら世の中がよくなるだろーか」と考えている。
結果としては役に立たなくてもいいから、なんとか世の中の役に立ちたいという気持ちを忘れずに生きていかれる方法はないものか、と考えている。
そーゆーことを考えて煩悶して、思わずでんぐり返しをしているだけでも立派にバカである。

2011年の3月11日に、そうやって世界中に散らばって、いつも、ろくでもないことばかり考えていた「種族」のひとびとがとっさに考えたことのひとつは、日本という遙かに遠い国にいる自分の種族の人間がどうしているか、ということだった。
くっっさあああーい言い方をすると、世代が違い言語が違い住んでいる国が違い貧富が違い社会的地位や肌の色が違っても、この種族のひとびとはあまりに数が少ないので、お互いを血縁に近い存在とみなしている。
この種族の特徴であるタイプの頭の良さは、生存には通常マイナスにしか働かない。
フクシマのようなことがあれば真っ先に滅びてしまいそうに思えたからです。

幸いいまはインターネットが存在して、このひとびとのうち英語が出来るものは、数学やゲーム、アニメやマンガのフォーラムを通じて知り合った同族人と直截やりとりをして、自分が置かれている状況が刻々と把握されていたもののよーである。
しかし、日本という国はどこまでも風変わりな国で、この種族にあってすら、英語なんてハロー以外に興味ないわい、というヘンな亜種が厳然として存在する。
多分、だから、こうやって奇妙な文章を書いているのだと思います。

日本では放射性物質を巡る議論はつくされて、いままでの世界の通念とは異なっていまばらまかれている程度の放射性物質の量ならば安全だということになっている。
日本政府が決めたガイドラインなので日本の旅券をもっているひとにとっては、それはもう「生きていくための諸条件および前提」として組み込まれたのと同じことであると思う。
日本人に生まれるということは、そのまま放射性物質による汚染を人生の条件として受け容れて汚染された肉体とともに生きることだと国策して決定されている。
仮に日本人科学者や政府の役人が改変して決定した「新基準」が誤っていて、いままでの「旧基準」が妥当なものだとすると、十何年かの後に、大変な、というよりも歴史的な大惨事が始まることになる。いまの日本政府のやりかただと、4年もすれば沖縄にいようが東京にいようが北海道に住んでいようが同じことで、みな等しく危険な領域にはいってゆくことになる。
こういう場合、国民がとれる選択肢はふたつで、良い国民として国と社会の決めた方針に殉じて(なにしろ政府という権威も科学者という知性もそう言っているのだから)放射性物質を怖れずに雄々しく生活するか、自己中心的な非国民になって、「それでも、わし、怖いもん」と述べて、もうぼくは勝手に生きていきますから、と内心で宣言するか、どちらかであると思う。

国の方針が誤っていると理解しながら、なおかつ国にしたがって従容として放射性物質の蔓延のなかで生きていく、というのはなかなかカッコイイ考えであって、子供のとき宇宙戦艦ヤマトにカンドーできた程度の知性なら、なかなか良い選択であると思う。
少なくとも田舎者じみて斜に構えて、「けっ」なんちゃいながら、現実にはずぶずぶと東京にいて死んで..じゃない、間違えた、生きていくよりはまともな行き方であると思われる。

でもね。
もちろん、4年もしたら戻ると決めてでよいから、自分の種族が屯っている大学なり研究所なり、キチガイ部落なり、なんでもいいから同種族の人間に会いに行こう、と思って決心するには、良い機会ではないだろーか。
自分の国にいても、同じ種族の人間に言われなければピンと来ない、という特徴をきみが属する種族は有している。
そこに行けば、一瞬でわかるよ。
正しいかどうかは別にして、きみの言葉が通じる人間たちは、きみが「放射性物質の害とゆっても確定した知見はなくて…」と言いかけた途端に、みなで、どひゃっひゃっひゃひゃ、と大笑いしだして、dude、おまえさん、頭がいっちゃってるよ。
まあ、ビールでも飲みたまえ、悪い語彙が頭から逃げてゆくから、頭でっかちのドイツ人の宰相も「ビールはぼくらを楽します」とゆっておる、と言い出すに決まっている。

終わりのない議論は、たいていの場合、終わりのない議論の場にひとびとを閉じ込めて疲れ果てさせるために誰かが「場」をしつらえた結果おきる。
その議論の場にいるかぎり、なぜ自分がこれほど消耗な議論に力を奪われなければならないかわからないが、実は議論による消耗そのものが議論の目的なのだと思う。

きみは同族に面会することによって、ようやくそのことを悟るだろう。
自分がフクシマを巡る思考と信じてきたものが、ほんとうは全力で車輪をまわしているのに同じところにいるだけのハツカネズミと同じ行為だったと気がつくのに違いない。
そうして、そういう仕組みを巧妙に用意するだけの緻密で隠秘な能力を社会というものはどんな社会でも潜在的にもっているものです。

他のひとには他のひとの方法があるが、きみが属している種族の人間にとっては、異なる社会の同種族の人間に出会うのが最も近道だと思う。

いーじゃない、英語くらい出来なくたって。
そんなもん、ねーちんやにーちゃんと親密にしているうちには、あっというまになんとかなるであろう。
ならなかったら相手に日本語をおしえればよい。

きみとは初対面だが、もし会えなかったらどうしようかと、
そればかり考えていたよ、と岩田宏も述べておる。
行っちゃいなよ、海外。
類は友を溺愛するという。

きっと、会えると思う。
きみが強く望みさえすれば。
いつか、どこかで。

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