痛み

沖縄のひとは、「魂を落とす」という。
落とすと、わるいことが起きる。
気持ちが落ち着かなくなったり、ぼんやりしていたり、体調が悪くなったりする。
落としてしまったら、魂を落とした場所へ行って
「まぶやー、まぶやー、うーてぃくよおー」
とゆって魂を呼び戻すそーです。

現代では心へのアクセスを失ってしまうひとが多い。
自分の心や感情がどこか遠くにあって、ときどき帰りつこうとしても、もう自分の魂の住所がわからなくなっている。
他人の苦しみは文字通り「他人事(ひとごと)」で、なんとも思わない、というよりも、どうにも思えない。
他人の苦しみを思って泣く、などという人間は偽善者に違いない、と思い込んでいるひとまでいる。
もっと酷くなれば、実際に、自分の苦しみでさえ「他人事」になってしまうひともいるよーである。

人間にとっての最大の不幸は自分自身にアクセスできなくなってしまうことであると思う。
ヘンな例を挙げるなら、ちょうど自分のオンラインの銀行アカウントにアクセスできなくなったひとと同じで、パスワードもIDもちゃんとおぼえているのに、いざやってみると自分に見慣れた心象はあらわれないで、なんだかのっぺらした、自分のまわりにいくらでもある表情と顔にでくわしてしまう。
自分はいったいどんな人間だったかが思い出せなくなる。

シリアルキラー(連続殺人犯)に同じ問題を抱えたひとが多いのはよく知られている。
ベトナム以来、戦場で苛酷な戦いに曝されると、やはり同じ問題を引き起こすことも知られるようになった。
実際、海兵隊で、気の良い、やや単純な若者を殺人機械に変えるための訓練は、言葉を言い換えると自分の心に鍵をかけて自分自身から隔離するための訓練そのものです。
そういう眼で見直すと旧日本陸軍の習慣と訓練もやはり自分の心を虐殺することに特化されていた。
集団強姦や無抵抗な民間人を射殺するのが通常の軍隊生活の一部であった日本陸軍の軍紀の弛緩は、ようするに最低限の人間性まで兵士達から奪い取ったことの結果であるように思える。

中世の武士はびっくりするほどよく泣いたという。
感激してはおいおい泣き、友達が喧嘩して去ると悔しがって号泣した。
いまの日本人からは想像もつかないひとたちであったよーです。

わしがもつ、自由闊達で自分の心が自分自身に向かっていつもドアを開けっ放しであるような日本人のイメージは、どうやら俊頼髄脳と並んでわしが大好きな古典である「平家物語」から来ているらしい。何でも書いて自分でも飽きたが生田神社で箙に花の枝をさして戦場にかけもどる景季の後ろ姿は、わしが歴史のなかでなんども見送った日本人そのものの姿でもある。

日本は、空恐ろしいほど貧しい国だった。
豊かな濃尾平野で国をなした織田信長でさえ、多分、(印象では)軍事費が国費の半分をかるくこえていて、農民や商人は、くうやくわずに近い状態だったと思われる。
卓越したデザインセンスに彩られた鎧甲や兵器の美しさは別にして、戦国時代の争闘などは庶人の目からはいまのアフリカの内戦と同じようなものだったのかも知れません。
その程度の生産性しかなかったはずである。

江戸時代になっても貧しさが変わらなかったのは、一般に印象される中期までというようなことではなくて、現代の感覚からすると「ボロをまとっている」としか形容できない幕末の写真に残っている庶人の姿をみれば、文字通り一目瞭然、江戸時代もまたいまの常識では理解できないほどの貧しい時代だったでしょう。
明治時代にやってきたフランス人は、日本という国の貧しさに息をのんで、「この国には、しかも資源と呼べるものがなにもない。人糞だけがゆいいつの資源で、日本人という民族は人糞を畑にまいて食べた結果の人糞を畑に戻す、ただ人糞の循環だけで生きながらえている」と書いている。

周りからは海で隔てられ、十分な資源といえば石灰岩くらいしかなく少しの鉄と質の悪い石炭が採れるくらいの農業国に温暖なモンスーン気候が災いして人口ばかりが巨大に膨れあがった近代日本は、世界のなかでは、町外れによそ者として住み着いた貧乏な大家族に似ていた。
最も近い半島人から見れば文明の最低の基礎である礼儀すらわからない最低の隣人であり、中国にとっては、ほんとうに国として扱ったほうがいいのかどうかも判然としない島の集合にしかすぎなかった。

日本に個人主義が育たなかった理由を訝る本はたくさんあるよーだが、あんなに貧しい土地にあんなに人間がたくさんいて個人主義が発達したら、それこそ怪奇というべきで、日本が取りえた道はふたつで、強固な階級社会を形成して頂点の階級において個人主義らしいものを形成するか、乏しい富をわけあって、一種の情緒的な全体主義社会を形成するか、どちらかしかなかったでしょう。

近代日本は、革命の原動力が底辺の武士であった、という特徴をもつ。
後に支配層になったひとびとも、いまで言えばテロリストの、乱暴なだけで他に取り柄がないようなひとびとです。
いまの日本は江戸時代の薩摩藩にありようが似ていると思う事があるが、
人間性を弱さの証拠として否定し集団によるイジメが社会のなかで慣習化されていた薩摩藩の社会を、高度成長期からバブル時代の拝金主義に対するアンチテーゼのようにして徹底的に讃美したのは司馬遼太郎というひとでした。
大阪のひとだったので、ちょうど正反対と言えなくもない薩摩の「議を言うな」文化がひどく好もしいものに見えたのかもしれません。

薩摩は極端な全体主義国家だった。
軍事に特化したような「戦士の国」で、明治時代の最大の幸運はこの「戦士の国」の最後の戦士達が生きているときにロシアが侵略を決心したことだったでしょう。
他のタイミングならひとたまりもなかった。
薩摩人たちは日本という国の守護神のように戦って、勝ったとは到底言えないが玄関からクビを突っ込んできた巨大な熊の鼻面におもいきりかみついて、這々の体で逃げ帰させることに成功した。

この日露戦争はしかしふたつの大厄災を日本にもたらしたように見えます。
ひとつは会戦主義だった当時では常識として「戦争に勝つ」ということは勝ったほうの文明度のほうが高い、ということをあらわしていた。
その結果、日本は国民レベルで「ロシア=欧州」と肩をならべたという実感をもった。
日本がたとえばせめてトルコの位置にあれば、比較する気にもならないほど富も文明の成熟度も違う当時の欧州と同等の「列強」になったとは思おうにも思えなかったでしょうが、日本は遙かに遠い国で、「日本は一流国になった」というメディアと政府の宣伝を信じないというほうが不思議だった。
よく考えてみれば、つい昨日まで白米が食べられれば大贅沢で、つぎだらけの粗末な衣服を着て、隙間だらけの西洋の基準では建物とさえ呼べないほどの貧しいつくりの家に住んで、今日は突然文明国になるわけはないが、とにもかくにも、日本のひとは自分達が世界の帝王のひとりになったつもりで国家的な傲慢という悪い病気を育てていった。

もうひとつは、日露戦争後の講和条約を日本が大勝した結果のロシアの命乞い条約だとメディアや帝国大学の教授たちを始めとする知識人たちの演説で思い込まされていた国民が、条約の何もぶったくれなかった内容に憤激して、巨大な暴動を起こしたことで、この暴動は日本政府のトラウマになったよーでした。
燃えさかる建物を見ながら、日本の支配層は「主張する民衆」というものの暴力性を見て戦慄したに違いない。
これでは自分達がつくったちっぽけな出来たての「近代国家」などひとたまりもない、と考えただろうと思います。

歴史を眺めると、それ以来、日本の政府がやってきたことは同じことの繰り返しだった。
臆面もない嘘をつき、マスメディアを通じて、それを正当化してきた。
日本のマスメディアは記者クラブという管制装置をもっており、そこに詰める記者達は長いあいだ政治家や官僚と同じ階層から出て、トップは同じトーダイの顔見知りである、という不思議な状態だった。

国の体面が民主主義でも全体主義でも、そんなものはただの意匠で、シャツを着替える気楽さで着替えるだけの、機能自体はどっちの場合でも精確に同じ、という日本式に巧妙な中枢装置は、いまは日本だけ出なくて半島や中国、香港、シンガポールというような国にも受け継がれているが、この支配層からみればものすごくよく出来た社会の管制装置はしかし、一方ではどれほど権力の内部で腐敗を亢進させるものであるかは、いまのいま、日本のひとが自分自身の身で首相が言うようには決して分かち合えたりはしない、個々別々の強烈な痛みとして経験していることで、外国人であるわしが、云々するに忍びない。

サバイバルのために始まった日本社会の特殊な試みは、しかし、もっと意外なところで個々人に深刻な影響を与えた。

自分の心にアクセスできなくなった大量のひとびとの存在がそれで、日本語ウィキペディアを見ると日本語では性的な嗜好の意味でしか使わないようなので語彙として使うのが難しいが、社会の明瞭な傾向としてサディズムが蔓延していることのおおきな理由もそれであると、わしには思われる。
西洋語のアパシーとは決定的に異なる、自分と自分の魂との乖離は日本人を徹底的に苦しめている。
自分の心や情緒と乖離してアクセスを失ってしまうことは、そのまま他者に対していくらでも残虐になれる、ということに他ならないからです。
おもいつきの整合性があるように見える理屈さえたてば、狂った獣の群れのように集団で個人を攻撃する攻撃的な狂気は直截にはそこから来ているように見えました。

痛みをわかちあう、という野田首相の言葉を聞いたときに、その語彙の選択の、いかにも心根の貧しい品の悪さとともに、わしは、なんという皮肉な標語だろう、と考えた。
「痛み」こそは日本人から奪われた感覚の代表で、他人の痛みを感じられないばかりか、自分の痛みさえ見失って自殺におもむく、自国の人間たちから自分達支配層が歴史を通じて奪い続けてきたものを、いまは分かちあえという。
しばらく呆気にとられてしまったが、そうか、このひとも「痛み」というものをもてない、自分の心から締め出されてしまった人のひとりなのだと考えて、納得とはいわないが、そーゆーこともあるのか、と不思議の感覚に打たれたりしたものでした。

31/March/2012

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One Response to 痛み

  1. >社会の明瞭な傾向としてサディズムが蔓延している

     上司や権威に痛めつけられながらも喜んで絶対服従するマゾヒズムと、部下や弱者に痛みを与えて喜ぶサディズムとが、一人の人間の中に共存することは、全体主義的な秩序を支える性格の特徴です。(エーリッヒ・フロム)この性格は日本では広くみられるので、サディズムの蔓延は全体主義の蔓延の一側面でもあり、全体主義の一層の顕在化の予兆でもあるでしょう。

     さらに、爆発した原子炉が外気に曝されたまま、石棺に覆われもしない環境は、個々人の精神的状況をも厳しくしました。この環境から脱出できない私たちは、その受け入れがたい恐怖を打ち消すために、ある者は権威への妄信を深めて、危険を説く者への攻撃性を増し、あるいは自らの心の悲鳴に耳を塞いで、他人の悲鳴も聞きません。自分の心の中の恐怖から目を背け続けるならば、「心へのアクセス」も失うでしょう。

     このブログを読んでいると、「心へのアクセス」を失わないためのヒントも見つけられて、例えば『キャロル』という記事には「世の中の99%のことはオカネで解決できるが、残りの1%こそが人間の一生で最も重要なことだ」とあります。自分の生命の本質の発現に関わる問題の解決策は、商品として購入できるものではありません。
     この事実を忘れて、生命がその本質の”あるがままにあること”自体の価値を見失う者は、外界のものを所有し、支配し、搾取することに価値を見いだします。(エーリッヒ・フロム,”To Have or to Be”,邦題『生きるということ』)この考え方にそまると、高価なものを所有することで自分自身の価値が高まる感覚を覚えます。やがて自分の所有物の価値の総和を自分自身の価値と感じるようになれば、自分の生命の本質は無価値であって居場所を失い、「心へのアクセス」は失われるでしょう。

     原始仏教の修行者たちは所有自体を禁じられ、衣服すら私有できず、「これは私のものではない。これは私に属するものではない。これは私(の自我)ではない。」と唱えることが日課でした。
     世界を所有の対象としてみることを断念した修行者たちは、生きとし生けるものが”その本質のままにあること”自体に価値を見いだし、これをいつくしむ慈悲の道を歩んで、消え去っていきました。

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