個人のための後退戦マニュアル 1

フィルムのなかのロシア人たちの証言によると、第二次世界大戦東部戦線のドイツ人たちは「薄気味が悪くなるくらい強かった」という。
それだけ聞くと、そーですかあー、と思うだけだが、もう少しくわしく聞いてみると、内容は興味深いと言わなければならない。
ドイツ人たちがロシア人たちのあいだで未だに伝説になっている「ドイツ人らしさ」を発揮したのが開戦初頭の無敵時代ではなくて1943年と1944年というドイツが敗走にはいって久しい(クルスクの戦いは1943年夏)ときの話だからです。

シャーマンM4への「肉弾攻撃」が国を挙げて戦意高揚の英雄譚になる極東の同盟国とは異なってドイツ人は国民性としては、どんな場合でも辛辣な皮肉屋で冷静な国民なので、相手が戦車でこちらが歩兵の戦いだとゆわれると「じゃ、戦争負けなんじゃん」と、あっさり思う。
ドイツ映画の「スターリングラード」で、大挙攻めてきたT34の大群に棒にくくりつけた地雷だけを武器に必死の戦いを繰り広げて撃退した夜、文字通りボロボロになって疲労困憊した兵士達の足下のラジオからフューラーが「我が国の最新鋭機甲師団がT34の大群を壊滅した」という演説するのを聴いて、「そんな機甲師団がいたかなあ」と訝る新兵に「おまえのことだよ」と古参兵が物憂げに吐き捨てるところがある。
一種の会戦主義であったナチスドイツの陸軍は、本来の物資不足に、会戦に備えるためという理由もあったのでしょう、そういう極端な物資の欠乏は日常のことだったようです。

なにしろろくすぽ兵器がないので、大集団で行動するT34を先頭にロシア軍が大挙して突進してくると、前線のドイツ兵たちは文字通り算を乱して一目散に逃げちってしまう。
ロシア軍は勝ち鬨をあげながら津波のような勢いで潰走するドイツ軍に襲いかかります。

「ところが、潰走したはずのドイツ軍は5キロメートルも先にゆくとちゃんと合理的な布陣をして待ち受けているのさ」とロシア軍の将校が感に堪えたように言っています。
あんな軍隊、ほかにあるはずがない。
潰走しても潰走しても、5キロメートル先に行くとまるで計画されたアンブッシュとでもいうような完璧な布陣で待っている。
ああ、これがドイツ人というものなのか、と私は、言葉が不適切かもしれないが、カンドーしました、という。

そのフィルムを観たイギリス人のじーちゃんが、「後退戦こそが文明だからな」とつぶやいたのをおぼえていた、というのが、この長たらしい前置きのブログ記事を書こうとおもった理由である。
(ツイッタを読んでいた諸君は、そーじゃなくて、あんたが日本語話したいのにつきあってくれるひとがみな寝ちったからでしょうが、とゆーだろーが)

(ものごとの契機というものは、単一とは限らないのだよ)

(ほんとよ)

人間はしつこくあらねばならない、とあらゆるいまに生き延びた文明は証言している。
ことの初めからノルマン人とローマ人の無茶苦茶を極める侵略と支配でぼろぼろだった連合王国人などは、いまに至るまで存続しているのは、ひたすら、しつこいことによってであるとゆえなくもない、と思う。
なにしろノーフォーク人たちに至っては出だしからローマ人たちに自分達の女王を強姦されたあげく王国を簒奪されて立ち上がった正義の戦いにクソ負けに負けて8万人もぶち殺されたりしていたので、執念く負けながら戦わなければ生きてゆくことも叶わなかった。

わしがゆいたいのは、ですね。
国としては原子炉がぶっとんじったのはゆゆしきことだが、個人としては、それくらいがあんだよ、おれは生き延びてみせるし、という立場もありうるだろう、ということなんです。

大量の核物質を内包した原子炉がゆっくりゆっくりぶっとぶという未曾有の事態になるまでは一ヶ月に一度だった部屋の掃除を毎日にする。
晴れていても傘をもってでかけて濡れたら家に帰って必ずシャワーを浴びる。
魚はしばらく諦める。
牛乳もしばらくやめる。
食料品は輸入品に切り替えて、どうしてもダメなら信頼が出来そうなスーパーマーケットの産地表示を確認してから買う。
そうやって生活における行動を少しづつつめてゆけば被曝量は十分の一にはなるだろう。
そうこうしているうちに日常的に正確な汚染・被曝情報が流されるようになるだろうから、そのときは、もっと細かくいじましく生活を抑制していかねばならない。

被曝地生産者の生活はどうなるのだ、それでは国家の経済はどうなってしまうのだ、という「国」の側の意見も当然あるが、それは公の側の意見であって、ここでは「個」の戦いに専心して考えてみようとしている。
生き延びられる自信がついたところで、「おれはもう50歳のジジイだから放射線なんかどうでもいいわ。福島牛が安いっちゅうから、どんどん食べるし」という判断があっても別に悪くはない。
お国のために浦霞をもっぱらに飲み、笹かまぼこを食べくるって、食後は二人静でなにほどの悪いことがあるだろう。
第一、いまの年金制度に国民がしがみついているとすると早く死ぬこと自体、たいへんな国家への奉公です。

しかし、文明というものは往生際の悪さをもって華とする。
兼好法師が「人間は死ぬときの潔さが大事である」とゆったのを本居宣長が、けっけっけ、と嗤って、「そーゆー人間に限っていざというときはじたばた言いやがんだよ。かっこつけてんじゃねーよ、ばーか」とゆっているが、そのとおりであって、
「わたしは、この世界に絶望しているから早く死んでもいいのだ」というのは、10歳くらいの子供に実際にもっともよく見られる幼稚な思想である。
実際、わしは10歳くらいのときに、もう長く生きすぎたので、これからの世界は若い諸君にまかせてなるべく早く死にたいものだ、とつぶやいて、かーちゃんやとーちゃん、許せないことには妹にまで爆笑されたことがある。
思想家というものは、つらいものだ、と考えたが、ま、過去のことはここではよいであろう。

どうせ、ここまで状況がきびしくなってくると、「いさぎよく諦めよう」というバカが夏の夕立のあとの藪蚊のように湧いてくるときがくるに違いないが、日本のひとびとは、かっこつけてるだけの、そういう幼稚かつケーハクな思想に瞞されてはいけません。
有利不利の条件を並べてみて、料理のレシピじみたそのリストをにらんで、自分達に最適の文明のスタイルを考え、一日一日もゆるがせにしないで、丹念に毎日を暮らしてゆくことの疲労は途方もないが、しかし、それが出来るということが文明の本質なのだと思います。
人間は、これまでも、ありとあらゆる不条理な苦難に直面しながら、殆どなんの理由もなく自己を生き延びさせようとしてきた。
そうした自己延命の努力は常に(どの時代にも存在する)軽薄な思想家、自分の薄汚い自己陶酔を高踏的と勘違いする愚か者たちの嘲笑の対象とされて、どの時代でも嘲笑する側が喝采をあびたものだった。
しかし、歴史が証明していることは、愚かで往生際が悪いと冷笑され軽蔑の対象にすらなった「生き延びようとした側」にこそ人間の真実の価値があり、あとからやってきたものたちに勇気を与え、最大の尊敬をこめた花束が彼らの往々にして粗末な墓標の前にはおかれた、ということでした。
いまの日本には、何の栄光もなく、薄汚い利権がくれくれ君たちばかりが登場する退屈な物語の終わりにはきだした放射性物質が国の過半の空を覆っている。
1945年以来、ひとびとが営々と積み重ねてきたはずの富は、いつのまにか政府が直轄する民営銀行という手品のような装置を通じて国債に変換された形で国の懐にはいり、それは浪費され誤った投資によって失われ、とうとう去年にはゼロになってしまった。
多くの人が口にするように現実というよりはマンガ的、悲壮であるよりはスラップスティックのどたばたに似た悲惨な状況のなかに、日本という国はある。

でもね。
信じようが信じまいが、これが新しい時代の始まりなのです。
日本共産党が測候所をつくり、そのあとでも全共闘が共産党に較べてもさらに(日本語の意味で)バラック小屋じみた測候所をたててみても「カクメイ」はこなかったが、
わしはフクシマが革命(という言葉が不適切ならばパラダイムシフトと言い直してもよい)の役割をはたすことは出来る、と思っています。
少なくとも、その端緒にはなるに違いない。
日本のひとびとが、「あー、かっこわるいったらありゃしねえ」と言い合いながら、後退戦のへっぴりごしで革命の偉業を達成することを、ほとんど疑わずに信じているのです。
(その理由は、これから、おいおい書いていくであろう。いままでの日本がなぜおっちゃぶれたか、という理由と一緒にね)

画像はマンハッタン名物のリスさん。(ダブルクリックすると、リスさんの「あーいい気持ちの顔がいかに気持ちよさそうか判るであろう)どこにでもここにでもいて、木の実をあげるとそれをもって群れから離れたところに隠しに行くが、観察していると、どーもどこに隠したか、ちゃんと憶えていないようだ。

わしみてえ。

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