刺青(しせい)

おばちゃんは、なんとなくアメリカ人風である。
声が大きくて、ちょっとチャビイちゃんであって、おおらかです。
「で、あんたたち、どこの町がいいと思ってるの?」
決めてねっすけど、とわし。
まだこの辺はよくわかんねーので、うろうろしてみよーと思ってるとこ。
街のほうはトゥラックに決めたんすけどね。

おばちゃんは、自分はアパートをウォーターフロントにもっていること、週末になると娘と孫に会いに自分の町からクルマで一時間半のメルボルンまででかけていって、そのアパートに泊まることなどを述べて、この郊外とメルボルン市中の家とを組み合わせるのはよいことであると思う、というようなことをゆった。
それから、ちょっと考えて、「タトゥー・パーラーがある町はよくないのよ。止めなさい」という。
ここより、ひとつメルボルンよりの街にはタトゥー・パーラーがあったのを思い出して、じゃ、あそこはよくねえーでしょうか、と訊くと、うなずいておる。

ふーむ、と思います。
興味深いことである。
オーストラリアではタトゥーのイメージがびみょーにニュージーランドよりも、もう少し悪いようだ。

ニュージーランドでも、刺青をいれるパーラーは無論「良い所」というイメージではないが、町の善し悪しの指標にはなりもはん。

マオリは刺青のひとびとです。
顔にも一面に刺青をするひとがいる。
女のひとでもそーです。
ニュージーランド人は、電話に出るのでも、ふつーに「キオラ!」とゆって出る。
もともと連合王国から来たひとびとも、ハロー、に退屈するとキオラっておる。
日本のひとと話しているとコーカシアン・オーストラリア人とアボリジニの関係とコーカシアン・ニュージーランド人+マオリ人の関係がごっちゃになっていてるよーであったが、マオリ文化は歴然とニュージーランド文化の大きな部分を占めている。
マオリに対する待遇がよすぎる、というオモロイ怒りの抗議がよくアメリカ合衆国政府からやってくる。
おまえらが、マオリ人との共同統治とかいうから、わしらがネイティブアメリカ人との交渉に苦労するやん、という。
知るかよ、そんなの。

マオリ文化では刺青は文化の精髄、聖なる芸術なので、刺青に誇りこそもて、悪いイメージなどぜんぜんありません。
そーゆーわけでパケハ(マオリ語で白人のことですのい)も、ニュージーランドでは他の国よりもさらに刺青に対する抵抗感が少ないのだと思われる。

パケハでも7、8歳で胸や腰にタトゥーをいれている女の子も多い。
わしくらいの年齢(20代後半)のひとだと、体中タトゥーというひとはごろごろいます。わしのジム友達には、チン○ンにタトゥーしてるやつまでおるからな。
いくらなんでも下品であるから具体的に詳述しないが、なかなかオモロイ刺青ではあって、週末にいっぺえやって、その辺で拾ったハクイにーちゃんと一発やるべ、ということに決めて、あのにーちゃんとベッドをともにしたねーちゃんは、なかなか遊べたことと思います。
ひっぱったり弾いたりして楽しんだことであろう。

いつか背中に桜吹雪のイギリス人にーちゃんとプーケのプールサイドで話したことがある。にーちゃんは、この総天然色テクニカラーの桜吹雪と風神の彫り物のためにコーベに行ったのだった。
そう。神戸。
有名なバスケットボール選手コービー・ブライアントの名前は、あのとーちゃんが息子がカネをいっぱい稼いで一家で自分が大好きな「神戸ビーフ」を毎日腹一杯食べられるように、と願ってつけた名前だが、ここでは関係がないよーだ。

このにーちゃんが、日本の温泉が楽しかった話しをするので、ふと気づいて、「日本て、『入れ墨のひとお断り』なんちゃうの? どうやって、あんたはんは入りなすった?」と訊くと、これはタトゥーであって入れ墨ちゃうぞ、とゆって入った、という。
OKだったそーだ。

ううううーむ。なんてオモロイ、とわしは感心してしまいました。
考えてみるとマオリ人の部族での地位が高いカップルなどは日本では生活に不便を極める。顔中にいっぱい刺青いれてるからな。
スーパー銭湯にもスーパーじゃない銭湯にも、夏の釜ゆでにあってもプールにも、行かれひんではないか。
でもそこで文化的差異ということを意識して、これは刺青ではない、よく目を見開いてみんかい、マオリ人の聖なる文化Ta Mokoやぞ、ボケ、と言うも可なり。

現実には日本にはマオリ人のカップルはたった一組しか住んでいないので、そーゆーことが問題になったというのは聞いたことがないが、たとえば西洋人のタトゥーについてであっても、そのうちにはこめかみのピアスを怒りにプルプル震わせたパケハにーちゃんの誰かが「文化差別だろーがボケ」と言い出すやも知れむ。
その場合、日本側の「とーんでもない。刺青してる人=マフィアでっせ。そんなもん許可したら、うっとこのお風呂、やーさんだらけになってしまいますがな」という予測される言い訳は通用するかしら。

多分、無理、であるべきだ、と考えてこのブログ記事を書いているのです。

刺青くらいのことで長々と書くとまた宗教学者の猫男に怒られるに決まっておるので端折ると、「刺青をしている人=悪い人」というのは簡便ではあっても本質的に差別的な思想である。
だから、仮にやくざものが無い根性をふりしぼって裁判所に問題を持ち込めば日本の憲法が十分に機能しているかぎり裁判に勝てるはずと思う。
あるいは、勝つのでなければならない。
理屈の上では成り立つわけがない明瞭な差別が誰の良識にも当然の取り決めとして日本で通用しているのは、やくざというものが「みなが嫌悪しているけど怖くて誰にも文句が言えない」存在だからでしょう。
現代社会には稀な、問題なく一致同意、頽勢翼賛して日本のひとが大好きな非難コーラスが出来る相手である。
日本語の世界では好悪の感情が論理的正義そのものなので、みなが「あれは嫌悪すべきものだ」と感情が一致すれば、あとはどうでもなんとでも理屈はついてしまう。
手続きのいちいちに徹底的にこだわって「感情」や「好悪」を正義から排してしまおうとするアメリカ文明とは180度異なって好一対である。
ほら、アメリカの刑事事件の成り行きみていて、「ええええー、あんな悪い奴が無罪になるほどアメリカ司法人てマヌケなのののおー、ひでえな」と思う事があるでしょう?
あれです。
悪を悪だからとゆって成敗してはいけない、とジョージ・ワシントンもゆっておる(註)

さっき朝食を食べているときに妹が、おにーちゃんもタットゥーくらいすれば、というので、ぶわっかたれ、おにーさまは中国様にとりいるために儒教に改宗したから身体髪膚受之父母不敢毀傷孝之始也という宗旨を守るのじゃ、とゆって「冗談でもそういうことを言う人間を兄にもって恥ずかしい」と宣言され、その上にダメ押しでモニとかーちゃんにも怒られたので、怒られっぱなしでしくしく泣いているだけの悲しさを克服するために、この記事を書くことにした。
書いていて負け惜しみに考えたが、刺青のようなしょもないものにも、いろいろな文明の秘密がこもっているのはオモロイと思いました。

(ところで、この記事を読んで、そーゆえば日本でも刺青パーラーをやれば儲かるだろう、と考えたきみ、あまい。きみの考えは金沢の落雁よりも甘いとゆわれておる。
あんなものは、あっというまに乱立してしまって、女の子をナンパする口実くらいにしかならねっす。ほんとうに稼ぎたいなら、刺青を消すレーザー技術を身につけたほうが良いのだよ。こっちはカリフォルニアやなんかで開業して億万長者になった若い衆がちゃんと存在する。マーケティングというものはどうやってすべきものか、という好例ですのん)

クリスマスだのい。
ツイッタで会わないひとのために、こっちには日本語で書いておく。
クリスマス、おめでとう。
あなたにも、わしにも、戦争で家を奪われて難民テントにいて神を信じないと決めた家族にも、クリスマスの朝に両親が大げんかを始めて両耳を塞いでいるガキどもにも、ひとしく祝福がありますように。

Merry Christmas!

註:ウソでんねん

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