日本特殊新聞

ひとりです。
義理叔父はトーダイの学生であって、両親の家はトーダイに通える距離にあったが義理叔父のことである、きっと若い女の子についてよからぬ妄想を巡らしてひとり住まいをしていたに違いない。
もっとも後年義理叔父のアパートを訪問したかーちゃんシスターによると、床一面が本であって、ベッドの下も本、おそるべきことには冷蔵庫のなかにまで本が突っ込んであったというから、妄想が現実になることはついになかったであろうと思われる。

ともあれ、義理叔父はベンキョーしておった。
義理叔父が大好きなユーミンというあの脳みそが腐りそうな甘ったるい音楽を聴きながら机に向かっておったに違いない。
わしも、「いつだって I love you more than you. You love me 少しだけ」うんちゃらかんちゃら、という曲だけは好きだけどな。あれはマルチカルチュラルな感じでなかなかおかしくてよろしい。
義理叔父の中学の近くにあった喫茶店では、この曲がかかるたびにインタースクールのガキンチョどもが合唱するのを常としたそうだが、むべなるかな。

義理叔父が日本語の歌に厭きて「フラッシュダンスのテーマ」にかかった頃、
どんどんどん、と玄関のドアをノックするものがあったという。
もともと後ろ暗いところがいっぱいあってトーダイも裏口であると一般に信ぜられておった叔父は、「おまわりではなかろーな」 と考えながら玄関に向かったに違いない。
向かった、とゆっても義理叔父の描写によると一歩半で着いたというから「向かった」というより「向か」くらいだのい。

ドアを開けると、そこには人相のええかげんなおっさんが立っておる。
「おにーさん。新聞とってるの?」
ちゅうんだそーです。
「いえ」
「おにーさん、学生?」
「そーですが」
「じゃ、新聞とらなきゃダメじゃない」

Y新聞の「勧誘」 なのであった。

へっ?
とブッシュミルズの炭酸割りを飲みながら、いつものごとく「義理叔父昔語り」 に耳を傾けていた、わしの手が止まります。
「カンユーって、なに?」

その質問に答えた義理叔父の物語は、わしにとってはぶっくらこくのを通り越して、なんじゃそれは、なお話であった。
洗剤に Y新聞資本の野球球団のチケットに6ヶ月ただ、って、なんなんなんだ旦那だんなんだ?

結局、義理叔父が断り倒すと、このえーかげんな顔をした「勧誘おやじ」は、
「また来るぜ。今度は朝の3時ごろ来てやるから、よく憶えとけこのクソガキ。東京はぶっそうなところだから、一人暮らしは気をつけた方がええぞ!」 というありがたいご忠告を残して立ち去ったそうである。

だから、おれは断固日本の新聞をとらんのだ、とゆって威張っておる。
ほんとうはかーちゃんシスターが英字紙をとっているから、いまさら「新聞とっちゃダメ?」 と訊けないので自分の会社の社長室に行ってコソコソ日本経済新聞を読んでいるに過ぎないが、一応、お話としてはうかがっておきましょう叔父さん。
奥さんの尻に敷かれた年寄りをいじめるのは忍びない。

日本の新聞くらい面白いマスメディアというものはないのだとゆわれている。「伝統芸」であるともゆえます。
なにが伝統芸であるかというと、ものを見る角度に他国では絶対に見られない角度があるのね。ディアブロ的角度というか、とゆってもブリザードのディアブロをやって遊んだことのないひとには判らんであろうが、ようするに斜め上方45度くらいから下界を見下ろす「神の視点」です。
旧約聖書的世界、ともゆえるな。

なにしろ神様なので「英メディアの報道によると」という、その「英メディア」が「The Times」であったり「サン紙」であったりします。
味噌もクソも一緒(ジャージャー麺食べてるひとごめん)である。

「社説」というのはもっとオモロイ。

たとえば今日(7月2日)の読売新聞を見ると、
「中国スト多発 曲がり角に来た低賃金労働」という社説を掲げてある。

「中国の高度成長を支えてきた安価な労働市場に異変が起きている。」という出だしです。ふむふむ。
「ストは日本や韓国、欧州などの外資系と、台湾系の企業で発生している。中心になっているのは、20歳前後の若い労働者たちだ。工員たちの低賃金労働は、大きな曲がり角に来ていると言えよう。」
ほむほむむほむほ、タシカニカニタシ。

「中国政府は、ストの長期化や拡大に速やかに対応し、問題解決を促してもらいたい。」

へっ?

「紛争の回避には、日頃から労働者と意思疎通を図り、良好な労使関係を築くことが肝要だ。」

はあ?

「経営陣に中国人を登用することも有効だろう。安価で豊富な労働力だけを求めて中国進出する企業戦略は、再検討を迫られている。」

こーゆーのは、殆ど近代言語による文章としては論理的に不可能なはずの文章なので読んでいてわくわくしてしまいますね。

だってさ。
こーゆー文章ってのは、日本が専制国家で、これを書いている人が全権能を一手に集中に納めた国王陛下の場合のみ成り立つ文章であって、書き手が万が一国王でない場合には誇大妄想狂の狂人かなんかでないと書けるはずのない文章だもん。

この文章が中国語化されて机の上に置いてあったとすると、ついこのあいだ「世界の最悪独裁者ベスト10」に選ばれてまた箔がついた胡錦濤先生は、それが日本の一介の新聞記者が書いたものとしったら「余計なお世話じゃ、ボケ」とつぶやいてクシャクシャクシャと紙をまるめて、ちょっと考えてから、ぺっと唾を吐き込んでからゴミ箱に捨てるだろう。
もしかすると、あまりにエラソーな態度にむしゃくしゃしていっぺん沖縄に上陸したろーか、このガキャと思うかもしれぬ。

わしは、いまこの記事を書くために社説を読んで日本の新聞は相変わらずだのお、としみじみ感じ入りました。
新聞のひとはこれを読んでは怒ってはいかむ。
なにしろ、わしはきみらがあれほど国を煽って到頭あんまり必要のなかった戦争をおっぱじめた相手の「鬼畜米英」そのひとじゃからの。
失礼なことゆいだしたのきみが先だし。

日本の新聞のこの5歳児なみの「正義ごっこ」ちゅうか「神様のマネが仕事だもん」 という伝統は、要するにヤクザモドキやもどきではないマジヤクザで構成された「新聞勧誘団」が独身の娘やジジババを脅しあげたり洗剤でつったりして無理からに築き上げた「ギネス認定世界最大発行部数」を支える定期購読者のすさまじい数にのった「無競争業界」の仕組みによっている。
なんのことはない、エラソーをぶっこいているが、カツアゲ新聞なのよね。

きみ。そこのきみ。
毎朝、あくびをしながら門柱脇の新聞いれに新聞を取りに行くのが楽しみなきみよ。
習慣がもたらす楽しみはわからないではないが、来月から、出勤途中になるべく小さなおばちゃんやおじちゃんがやっている売店を選んで買いなよ。
何回か買って、今日はもういいや、どの新聞でも同じ記事なのが判ったし、と思った日は買わないほうが世の中のためなのです。

それが「日本を変える初めの一歩」なのだと思うよ。

02/July/2010

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