ギリオージ

ものを考える、ということがメンドクサくて嫌いなので、セキュリティ上、とか仕事上、とかその他の理由でほんとうは書いちゃダメなんじゃない?ということもこのブログにはいろいろ書いてある。たとえばまだこのブログの始まりのころに「わしの妹は4カ国語を流暢に話す」と書いたら「ウソをつくな」「そんな人間がいるわけがない」「おまえはウソツキだ」と大量にメールとコメントが来てはてなのキーワードに書き込んだひとまでいたが、これも典型であって、実はこれは完全にはほんとうではない、というか真実の一部にしか過ぎない。妹は「4カ国語」を流暢に話すだけで、兄として妹の優秀さを認めるのは不愉快だから書きたくはないが、もう3カ国語は出来る。でも7カ国語、と書くと日本のひとは絶対信じないので、まあ4、にしとくか、ということで部分のみを書いた。
つまり真実の一部のみを書く、という古典的偽りの方法を採用したりはします。

でもな。日本のひとにはぜってえーに信じられないことのようだからゆっても虚しいが欧州では…とゆっても、このあいだ『英国人はもちろん自分達でも英国が欧州にはいるとは思っていない』というオオバカナル(バカ、とゆって罵っているのではない。わしは温厚で成熟したオトナだから、そーゆー カリフォルニア州の聖書学者が使うような下品な言葉はつかいません。調べればわかるがオオバカナルはAUX BACCHANALESと書く。日本語でゆえば「おおさわぎ」っちゅうような意味です。バッカスという大酒飲みで乱痴気騒ぎが好きなカラオケの神様がアメリカ大使館の近くにひらいたいっぱい飲み屋の名前でもある)日本の作家が書いた文を読んだが…4カ国語くらいはアホ(しつこいようだが、これもNZの冷菜凍死家が頻用するような下品な言葉のほうではない。スペイン語でニンニクという意味である。ajoと書きます)でも話す。
こーゆーと、また、いまでもつきまとうwebストーカーのひとが「ニンニクが4カ国語を話すなんて偽りを広めるなんて許せない。本当だというなら根拠になっている本を言ってみろ」とか言い出すに決まっているが、話すのだから仕方がない。
根拠なんか示さなくても行けばわかるし、欧州の都会に住んでいれば日本人としか付き合わない日本人でもなければそれこそニンニクなアホでもわかる。
ブラッセルの八百屋に行けば、ちゃんとイギリスから来たニンニクとスペインから来たニンニクがフランス語で話していたりするのを目撃できます。

むかしブログを書き出した頃はガメにブログを書かせると何を書くかわからんので、おれとおれのおとーさまやおかーさまの話を書いたら殺すとゆっていた従兄弟も、わしがあまりに温和で成熟したオトナになったので最近はちょっとくらい書いてもいい、というようになった。だがしかし従兄弟のほうは、わしのブログ(英語)で従兄弟がboozingで暴れたのをばらしたせいでガールフレンドにぶち捨てられたという、たったそれだけの些細な理由で逆恨みするような危険な人間なのでまだ保留しています。
義理叔父は、もとが出たがりのひとなので、いつかはネタにしてくれるわ、と考えておった。

ブログで「義理叔父」というが、英語には「義理叔父」という概念がない。義理息子や義理母はいるが義理叔父はないのね。だから本来「叔父」と呼ぶべきだが、本人がわしに輪をかけてケーハクなので、なにしろ危ないひとです。だから多分わしの心のなかで「義理」という言葉を叔父にかぶせて心理的に防御しようという気持ちが働いているのに違いない。

このひとはわしの広尾山のアパートからあんまり遠くないところの学校(この学校の歴史を調べたら元は「東洋英和女子学校男子部」(^^;)というこの後の行く末を暗示するような豪快なくらい軟弱な名前だったので叔父に告げたら、「そーだよ、出来たばかりのときは場所も同じ鳥居坂でさ。同級生同士で子供が出来ちゃったりして風紀上問題がある、っちゅうんで丘ひとつ向こうに移したんだからな」という由緒正しい学校の来歴を教えてくれた)を出て、トーダイへ行った。トーダイ、知ってますか?
日本のマンモス大学であって、英語ではThe University of Tokyoという。
もっとも叔父かーちゃんを含めて叔父親戚は全員、叔父が裏口入学で入学した、ということを暗に認めていて誰も口にだしてゆわないだけのもののよーである。
いっぺんだけ叔父かーちゃんが、あれは裏口だった、とばらしたので、ガキンチョの頃の従兄弟とわしが「鎌倉ばーちゃんが裏口だとゆっておったぞ」とゆったら、「ばあーかもん、トーダイには裏口はないんじゃ」とゆっておったが、これはわしの偉大な探検によってウソだと確認されておる。
だって、わしはわざわざ本郷まで出かけてトーダイにも裏口があるのを確認してきたからな。表のほうにあるボロイ門には脇に小さな門もあったので、もしかしたら「脇口からはいった」のかも知れないが、どっちにしろ、まともな入り方はしていないよーだ。

ところで一応まともな大学だということになっている東京大学を出たわりに叔父は学力という点で著しくダメなひとだが、ひとつだけ犬のお手よりは複雑な芸があって英語を話します。
なにしろかーちゃんシスターと会ったばかりのときは「This room commands a fine view!」などというオソロシイ英語を使ってかーちゃんシスターに大笑いされて受けまくっていたそうだが、最近は、そこまでオソロシイ英語を使うことはなくなったよーだ。

少し真面目に書くと、義理叔父はわしが知っている日本人のなかではもっとも美しい英語を使う人です。

とここまで書いていて思いだしたが、前にブログで書いたように叔父はブログがはてなにあった頃はブログの管理権を握っていた。あのブログにはところどころに暗号があって、その解答が(誰も興味すらもってくれなかったので、もう書いてしまうが)、あのうちの5つの記事が義理叔父がわしの口調をまねて書いている、ということでした。東から半分が猿な野蛮人たちがやってきたときにわしの英語がにせもんである、というとんでもない言いがかりをつけて大騒ぎしたときに、その5つのうちのひとつが英語であったのを思い出してわしはひやりとした。
ところが、とおおおおーころーが。

いま思い出しても腹立たしいが、あとで「少なくともこれだけは母国語としての英語だと誰にでもわかる」と書いてもらった、その「ただひとつ」が叔父の書いたもので、わしは死亡しました。

あのね、日本人の諸君、きみたちの理解力はどーなっておるのかね。

こーゆーことを言うと日本のひとは怒ると思うが、なああああんとなく気がとがめてきたのでばらしておくと、twitterもお友達に直截返信してないものには叔父がいたずらで書いたものがあります。もっとばらしてしまうと、初期の頃のブログにはよく見ると28時間起きてないと書けないはずの時間にアップロードされたものがあった。
twitterのほうは管理権をもっていたわけではないが、わしのパスワードが超シンプルでわしの親戚とかだとアホでもわかるものなので悪戯されてしまった。
でもお友達と応答することだけは大半(ふたつだけあった)は遠慮してあったようで、義理叔父のいいとしこいて信じられないくらいのケーハクさと気持ちのやさしさが両方よく出ています。
叔父は無茶苦茶な悪戯をする、という悪い癖があって、わしは子供のときからよく被害にあった。
シンガポールのアパートで、斜めに突き出した棒(実は物干し竿)がなんのためにあるのか、と訊いたら、
「飛びついてみればわかる」という。
あとで訊いたら、まさか25階のテラスでほんとうに飛びつくとはおもわなかった、のだそーだが、わしが飛びついてみると、それはしなって折れそうであって、しかも足の下はコンクリートの道路で、テラスに戻るという訳にもいかなかったわしは、もう絶対死ぬ、と思った。叔父に言ったら、おれもそう思った、というのできっと本人もパニクっていたのかも知れません。

英語のことでいうと義理叔父の英語の最も良い点は「発音が自然」であることだと思う。
よく訊くと日本語にカタカナがある言葉、たとえば、グラウンド、というようなところで微かに日本人訛りがはいっている。でも電話ごしとかだと、何年もオーストラリアに住んでいるオランダ人、とかそーゆー感じで聞かれるよーである。
かーちゃんの家に手伝いに来ていたおばちゃんが「オランダ系らしい女のひとから電話がかかってきた」というので、いったい誰だろう、と頭をひねっていたら、義理叔父であって家族で大笑いしたことがあるのを、わしはおぼえておる。

義理叔父というひとはいくら言葉をつらねても足りないくらいケーハクなひどいひとだが、わしが最も信頼する日本人でもある。

突然こんなことを書くのは、どーせこっそりこのブログを読んでいるに決まっているからでもあるが、そーでない理由もあります。

むかしむかし、遠い遠いむかし。
かーちゃんシスターが大学生で日本にやってきて義理叔父と出会った頃、義理叔父はよからぬ考えをもって(とわしはにらんでおる)かーちゃんシスターを居酒屋に誘って、途方もなく強い焼酎割りを一緒に飲んだ。
義理叔父は、かーちゃんシスターは普段酒を飲まないが、いったん飲み出したとなると、うわばみが部族で挑戦しても敵わない大酒のみなのを知らなかったようだ。
結局、雪が降り出したロマンチックな新宿の通りをかーちゃんシスターは酔いつぶれた義理叔父を担いで叔父のアパートまで連れて行ったそーだ。
かーちゃんシスターはほそっこいが、バレーボール乗馬テニスのプロ並みのスポーツ選手なので力が強い。
いまでも、あんなにかっこわるい男とデートしたのは、あのときが初めてであった、と笑ってます。

それでも、あんまりにもヘンなひとなので、変わったものが大好きなかーちゃんシスターの好奇心に訴えたのであろう。この全然つりあいがとれない、というかマッチしてないというかのふたりは付き合いだした。
かーちゃんシスターは2ヶ月の短期留学だったので、あっというまに帰ってしまった。
一回だけ、ふたりで旅行に行ったよーだ。
前には下心の大盛りで焼酎を飲ませた癖に、今度は初めは別々の部屋をとって、思い切って義理叔父の部屋のドアを夜中に叩いたかーちゃんシスターの服を脱がせもせず、義理叔父はただ朝までベッドのなかでかーちゃんシスターを抱きしめておいおい泣いていたという(^^;)

それから4年が立って、かーちゃんシスターと義理叔父が書いた手紙が膨大な山をなした頃、東京でもうダメだ、いくらんなんでも、こんな無理な付き合いが続くわけ無し、と当時はくそ高かったせいで30万円、とかになった国際電話代を払った財政的無理がたたってときどき電気がとまったりしていた部屋で義理叔父があきらめなければ、と考えてやけ酒を飲んでいた夜、やっと先週また停止から回復した電話が鳴った。
義理叔父が出てみると、かーちゃんシスターの声がした、そーです。
「日本に行く。就職先も決めた」とかーちゃんシスターがいう。
義理叔父の歓喜やおもうべし。
そのあとに会社は福岡というところだ、これで東京にいるあなたと毎日会える、とかーちゃんシスターが続けたので、叔父ははなはだしくずっこけたそうだが、しかし、若さというものこそおそろしけれ、それでもなんとかなるさ、と考えて欣喜雀躍したそうである。

次の年、一緒に住むことになって叔父の家の引っ越しに手伝いに来たかーちゃんシスターは叔父の勉強机の前の壁に貼り付けてある、当時はヘビースモーカーだった叔父の煙草のせいであろう、一枚の茶色く黄ばんだ葉書を見つけた。それには、左利きのひとの癖のある、なーんとなく子供っぽいようなかーちゃんシスターの手で、ふたつの国はなんと遠いのだろう、それにわたしの日本語は、あなたに話しかけるにはなんと下手なのだろう、あなたとわたしを隔てているものは無数にあるが、わたしたちは必ずあらゆる障碍を乗り越える’We can get over all obstacles.’と書いてあった。
コーヒーをこぼしたあとや埃で汚い机の、その周りだけが「なんだか間が抜けた感じで」綺麗にしてある一画にかーちゃんシスターが義理叔父にあげた自分の写真が大事に飾ってあったそーです。

叔父はいま自分の家もある癖に、かーちゃんシスターが一緒じゃないから、とゆって、わしらの家にモニに嫌がられながら逗留しておる。はやい話がこれを書いているわしの部屋から見える裏庭で、なんだかみょうちきりんな歩き方でうろうろしておる。
あーゆーことだからモニに笑われるのに、理解できておらぬようだ。

でもな、わしの父親の世代のひとだが、わしは義理叔父が好きである。
一途、というが、一所懸命な人間がわしは結局すきなのかもしれません。

裏庭を歩いているあのちゅーねん日本人男はうだつはあがらないが、結構りっぱなやつじゃんと思いながら、このブログを書いているのです。

(あっ、転んだ)

02/May/2010

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