零式艦上戦闘機

No protection is provided for either pilot or fuel tanks.
At high speeds the rate of roll is slow and is slower to the right than to the left.
At speeds of 250 knots and above the aileron forces are so high, fast rolling cannot be done.

っちゅうのは、1943年10月につくられた零戦21型の実戦部隊向け資料に書いてある、有名な「所見」です。資料そのものを見ると、翼内タンク、オイルタンク、酸素ボトルの位置を示した図があって、矢印の先を見ると「ここを狙え」と書いてあったりする。
当たり前ですが、「防御用の鋼板がないところが米軍機より劣っている」とか閑人が好きそうな「どっちがツオイか」っちゅうことが書いてあるわけではなくて、ただ単純に「効率的に零戦を撃墜するにはどうすればよいか」ということが要領よくまとめてある。

オークランドの戦争博物館にゆくと、零戦22型が置いてあります。
傍らには、この零戦の操縦士であった若い日本人を整備士たちが必死で救おうとした物語が書いてある。わざと修理を遅らせて、特攻任務につかせまいとした、という。
きっと、いまでも、少し見下ろせる角度になっているレイアウトと、あのやや特例的な美談の掲示もそのままでしょう。
ニュージーランドのガキどもは、あの掲示を見て、日本人といえども残忍で失礼な怪物ではないのだ、ということを学習することになっておる。
なにしろ、「博物館」っちゅうものが少ないので、あそこはみんな行くからな。
連合王国人にとっては、第二次世界大戦とは対独戦のことであってアジアと太平洋の戦いについては「太平洋戦争、って言われてもねえ」というのが、ふつーの感想でしょう。
全力をあげてドイツと戦っていたら、ヒトラーの尻馬に乗って日本人たちがマトモな軍隊がいないアジアを狙って植民地を盗みにやってきた、というのが一般的な認識であると思います。
合衆国人にとっても、二次的な戦線であって、マッカーサーがそのせいでカリカリきてばかりいたのは、万事檜舞台がしつられられていないと嫌だった幼児的なマッカーサーの性格のほかにも「おまえのところは主戦線ではないのだから」というので不十分でしかも旧式な装備しか送ってこない、という実質的な憤懣もあったのです。
豪州人だけが対日戦争としての第二次世界大戦を戦っていたのだ、とゆってもよい。
戦争に勝利した後、豪州人があれほど必死になって昭和天皇の処刑を主張したのは、要するに、そーゆー理由からでしょう。
合衆国が、日本に対してタカをくくっていたのは、まず第一に中国戦線における観察から日本軍の弱さをよく知っていたからです。
日露戦争における呆気にとられるほど強い兵隊は、軍紀が乱れに乱れた、強姦や略奪を行く先々で行う、規律のない武装集団になりはてており、しかも第一次世界大戦に参加しなかったことに起因する軍事テクノロジーの決定的な遅れは、調査した武官たちをして失笑させるほどのひどさでした。
こんな軍隊に負けるわけるねーよ、と思った。
で、まあ、こういう態度の悪い、日本帝国をなめきった合衆国軍の戦前の予想はだいたいにおいて当たっていたわけでした。
もちろん誤算もあった。
その最大のものは、よく知られているとおり、日本海軍の航空戦力であって、その「誤算」の象徴が97式艦攻と零式艦上戦闘機でした。
1942年の時点で戦闘機の戦いでいうと日本人操縦士を4人殺すために合衆国人操縦士がひとり死んでしまう、という割合で、これは合衆国社会の許容範囲を遙かに超える死傷率だった。
この頃の合衆国人の主力戦闘機はたとえば海軍と海兵隊ではF4Fです。
F4Fは、前にもブログ記事で書いたとおり、
http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/searchdiary?word=f4f
垂直面の対ゼロ戦闘ではほとんど勝ち目なし、なくらいダメな戦闘機でしたが、もともと旧式な兵器で敵の主力に正面攻撃を加えるための「ガッツだあ」集団として教育されていた海兵隊員たちは、自分たちよりも遙かに優秀な空戦性能の零戦相手によく戦った。
この頃の日本側の記録を見ると、爆弾も抱かないで駆逐艦を銃撃で撃沈しようとするわ、
単機で遙かに数が多い零戦の集団に遮二無二突っ込んでくるわ、の米軍操縦士たちの、あんましアタマのよくない暴勇ぶりに唖然とする日本人将校たちの姿がよくわかります。
日本のひとがアングロサクソンというものが本質的に暴力集団であることを悟った初めである(^^)

零戦は、削除しちって、記事そのものがどっかにいっちった前の記事にも書いたとおり、
いわば「スーパー複葉機」でした。
そこに零戦の格好良さがある。
堀越二郎というひとは、日本が「エンジンをつくれなかった国」であると言っています。
どうしても良いエンジンがつくれなかった。
ちょっとここで断っておくと、この記事を書くにあたって「零戦」とかで検索してみると、「あれは結局外国の飛行機のコピーであった」と書いているひとがいっぱいいて、ぶっくらこいてしまった。
このひとたちの論拠は簡単で、エンジンの栄21 型の元になった「寿」はブリストル・ジュピターのコピー、機関砲はイスパノスイザそのまんま、7.7ミリ銃も…っちゅうことですが、なにも、そこまで自分の国をバカにせんでも、と思う。
ヒコーキっちゅうのは、(あたりまえだが)総合芸術なんです。
設計者の「思想」というものがなによりも先にあって、それに使える技術をあちこちからかき集めてくる。
そのままいったら凡庸な試作機として終わったはずのムスタングP51がロールスロイスのエンジンに付け替えただけで史上最高のレシプロ戦闘機に生まれ変わった例を思い出して見るがよい。
第一、そんなに零戦を貶めたければ、当然あげなければいけない例は、上のようなヒコーキというものをまるで理解していない理屈ではなくて、
零戦に先立つこと一年半前につくられたグロスターF.5/34をあげるくらいには気が利いていないと意見をなされない。
グロスターF.5/34の写真を見ると、たいていのひとは「英軍に捕獲された零戦」だと思うようです。そっくり、である。
こまどり姉妹やザ・ピーナッツよりも区別がつかん。
(知らない人は、おじーさんやおばーさんに訊くよーに。両方とも一九六〇年代(多分)のスターですじゃ。三波春夫、とかと同世代のひとね。この頃はどうやら日本の芸能界では「双子ブーム」であったよーだ)

ついでに諸元も並べると
エンジン ゼロ:780hp グロ:840hp
翼幅   ゼロ:12.6m グロ:11.6m
翼面積  ゼロ:22.4平方m グロ:21.4平方m
翼面荷重 ゼロ:104.0 kg/hp グロ:114.6 kg/hp
最大速度 ゼロ:509 km/h グロ:508.5 km/h
ちゅうようなもんで、他の飛行特性を並べても不気味なくらい、そっくりです。
連合王国版ゼロ戦だすな。
旋回半径まで同じである。
これをつくったヘンリー・フォーランドというひとは、秀才型の技術者だったので有名なひとで、同様に秀才型だった堀越二郎技師が二年後につくった飛行機が双子のように似ていたのは、要するに、当時の空冷式戦闘機の定石にしたがって飛行機を設計してみたら、たまたま同じものになった、ということでしょう。
しかし、フォーランドは突っ込み速度を捨てたり装甲を捨てたりは出来なかった。
そうすると当時の英国の常識では、戦闘機ではなくなってしまうからです。
またエンジンの出力向上に余裕があったので、その必要もなかったところがゼロ戦と異なる。

…..そーゆーわけで、よっぽどアタマのいかれた合衆国人ですら零戦が日本のオリジナル戦闘機であることに異議を唱えるひとはいなくて(よりによってテキサンのコピーだ、とゆったオモロイおっちゃんはいたが、アホか、で終わりました)、それは先ず第一に
堀越二郎の「スーパー複葉機をつくる」という思想が、すさまじくオリジナリティに満ちていたからです。

「装甲がない」というのは、弾に当たったら怪我するやん、という西洋のコンジョナシ思想と日本の「当たらなければいいではないか」という思想の違いだからまあいいとして、(ほんとうは良くないかもしれないが、それを言うと零戦の思想そのものの全否定になるので、ここでは、そういう議論はしたくない)、「降下離脱」を捨ててもよい、というのは、すごい。よく考えてみると、基本的には戦闘にはいったら最後、死ぬか殺すかまでやる、ちゅう考えなわけで、戦闘に対して生一本である、というか、サムライの果たし合いと空中戦と区別がついていないようなすさまじい空戦思想です。

日本のひとが「零戦」について書いたものを読むと坂井三郎の自伝に影響された部分がすごく大きいのに気が付きます。英語の論者も似たようなものなのは、むかし、坂井三郎の空戦記のダイジェストが英語世界でも「SAMURAI!」という名前でベストセラーになったからでしょう。
「丸」やなんかに載った海軍航空兵たちの座談会やなんかを読んでいると、坂井三郎は
もちろん偉大な戦闘機操縦者であるにしても、ちょっと話は誇張が多い、といって苦笑気味に話す人が多いようである。
「嫉妬」というようなことではなくて、仲の良い仲間内での十分親愛感をこめての発言なので、坂井三郎の本には、特に零戦の特性について、自分の好みによる主観が強い面はあるようです。
特に20ミリ機関砲(旧帝国海軍の言い方に従えば「銃」)については過小評価である、というひとが多い。
ご存じの通り坂井三郎は至る所で「零戦の20ミリ機関砲は役立たずであった」と言っています。

幸いなことに初速が同じくらいの20ミリ機関砲を装備した機に乗って欧州戦線で戦った多くのパイロットが戦記を残しているので、この件については面白いことが判ります。
坂井三郎と同じく、「あんなまっすぐ飛ばん機関砲は役立たずであった」と述べているのは連合王国のパイロットだけである。
そーです、結局、坂井三郎や連合王国の撃墜王は「空の戦場では激しく機動しつづける」というスタイルで戦ったせいで、20ミリが好きになれなかったのだすな。
ドイツ軍などは通常、ぶわっと急降下してきて一撃離脱しておいてから、また上昇して、というような戦いぶりだったので、初速が遅くとも照準が合いやすかったもののようである。

戦後の合衆国人が書いたものを読むと、零戦は結局「突っ込み速度が遅い」ことと「高速機動が出来ない」ことが直截の原因になって旧式化します。
もうひとつの理由はもちろん被弾した場合の死亡確率がものすごく高かったために操縦士があっというまにいなくなった、という事情もある。
高速での機動にすぐれたF6Fが登場すると、合衆国パイロットがひとり死ぬあいだに日本の操縦士は16人死ぬようになります。そして、その死傷比率はあっというまに凄まじい勢いで合衆国側に傾いてゆきマリワナ沖では日本側にとってはたいへん屈辱的な「七面鳥撃ち」という名で呼ばれるほどひどくなる。
新米のパイロットが何人も一日で5機撃墜、6機撃墜という「新記録」をたててしまうので、それまでのエースたちが不平を鳴らすほどになってしまう。
日本軍はあまりの損耗率に松山航空隊の結成まで事実上戦闘機を飛ばすことをやめてしまいます。

オークランド博物館にやってくるガキどもが、まっさきに驚くのは零戦という飛行機が空冷であるにも関わらず優美な形をしていて、なんだかやさしげな飛行機であることです。
わっしは、こんな小さな1000馬力の飛行機に乗って太平洋を何時間も飛んで戦場に行き、まったく不利な空戦を戦って傷つきながら、また何時間も洋上を飛んで帰った20歳
になるかならないかの若いパイロットのことを考えて、どういうか、やりきれない気持ちになった。連合軍のパイロットと違って、彼等には休暇すら与えられなかった。
ただ死ぬまで飛ばされ続けただけでした。

坂井三郎の自伝に坂井たちがラバウル島に駐留していた頃、空中で撃墜された米軍パイロットが落下傘で海に落ちるのを浜辺からみなで眺めるところがあります。
ああ、もう、あいつ助からんなあ、と思って見ていると、低い雲のなかからPBYカタリナ飛行艇がゆらゆらと現れて着水する。
そのあとからグラマンF4Fが束になって飛んできて上空を旋回しだします。
当時は「無敵」と自称していた日本軍航空隊の眼と鼻の先の海に、たったひとりのパイロットを救助するために、結局2機の飛行艇と一編隊のグラマンを仕立てわざわざ「大作戦」を組み立ててやってきた合衆国軍を眺めて、彼我の国の兵士の命に対する考え方の違いに絶望してしまう場面がある。
結局、出版される英雄譚の裏でひそかに語り続けられてきた日本軍の兵士の「やる気のなさ」は、そーゆーところから来たのでしょう。
人間として扱われなかった兵士に人間としての勇気を求めても、無理なのは当たり前だとわしも思う。

技術的には零戦は、当時の日本がもっていた技術をうまく組み合わせた、文句なしの「傑作戦闘機」である、とわっしも思います。
では、これを欧州戦線に1000機運ぶことが出来たとして、「傑作機、到着!」とばかりパイロットたちが歓迎したかというと、多分、誰も乗らなかっただろうと思う。
それどころか、「あんたはおれを殺す気か」と言って操縦士は上官に食ってかかっただろうと思います。
窮地に陥ったときの最も有効な離脱方法である「棒落とし」が出来ず、被弾したときにほとんど生存が見込めないのでは、欧州人の考え方からすると「戦闘機」とは呼ばれないからです。
合衆国では「空飛ぶ棺桶」と呼ばれたのにロシアでは傑作機であったベルのP39を挙げるまでもなく、戦闘機という兵器は、たいへん文化に密着したものでした。
RAFがグロスターF.5/34を選ばずに当時ハリケーンとスピットファイアを選んだのも、採用時期よりも実は、やはり文化的な理由によっているのだと思います。

わっしは日本人のものの考え方が零戦を「傑作機」にしたのだと思っています。
日本のひとが零戦と日本の栄光をいまだに重ねあわせて考えたがるのは、だから、
きっと、あたりまえなのでしょうね。

05/July/2009

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