純粋さについて

純粋な人間、というものがわっしは好きである。
「純粋なひと」が良いなどと当たり前ではないか、というひとは、純粋な人間というものの付き合いがたさや面倒くささ、というものを知らないからそう言う。
純粋な人間と付き合う、というのは普通の人間にとってはだいたいが身の破滅の始まりであって、碌な事はない、とたいていの人間は知っておる。
それでも砂漠のなかにひとつだけきらきらと輝いているような人間の純粋を発見すると、人間というのはどうしようもないものであって、やはり涙が出てくるのです。
公表された30時間のテープのなかでマイケル・ジャクソンが、こんなふうにゆっておる。
ブルック・シールズとの初めてのデートのことです。
“So we get to the after-party, she comes up to me and she goes, ‘Will you dance with me?” and I went, ‘Yes, I will dance with you.’ So we went on the dance floor and we danced,” Jackson said.
“And, man, we exchanged numbers and … I was up all night singing, spinning around in my room, just so happy, you know. It was great.”
アカデミー賞のパーティに呼ばれて出かけたマイケル・ジャクソンは、自分の部屋の壁に写真を貼って眺めるほどの大ファンだったブルック・シールズにデートに誘われて舞い上がってしまう。
I was up all night singing, spinning around in my room, just so happy, you know. It was great.
というところのきらめくような幸福はどうでしょう。
いうまでもなく、すでに大スターであったマイケル・ジャクソンとこの科白とを重ねてみて、このひとの調子の外れた晩年を予想できないひとは余程人間と世の中のことについて想像力がないひとである、と思う。
一方、同じテープのなかで、マイケル・ジャクソンはマドンナがいかに「ヤナ奴」であったか憤慨しています。やはり初めてのデートのときのことである。
どこに行こうか、と相談を始めたところでマドンナがいきなり
「ディズニーランドへは行かないわよ、いいわね?」と切り出す。
マイケル・ジャクソンは、頭に来てしまう。
「誰もディズニーランドへ行きたい、なんて言ってないじゃん」
マドンナはマイケル・ジャクソンがそう言うのは構わずに、命令する。
「まずレストランでふたりで食事をするのよ。いいわね? そのあとはストリップ・バー」
「ストリップ・バーなんて行きたくないよ!」
ふたりで大げんかした挙げ句、マドンナはこの後、マイケル・ジャクソンについてボロクソなコメントを書く。
マイケル・ジャクソンは、ビッチーなマドンナに、よっぽど頭に来たようだが読んでいる方は、まるで小学生が喧嘩しているようなやりとりに笑ってしまいます。
ふたりとも、それぞれのやりかたで「純粋」であって、暗い夜の空のふたつの輝く星のようだ。
「純粋な人」というのは、何事かを思い詰めることによって世界から脱落してしまっている。周囲から世界が消滅して、彼等の魂は激しく煌めきながら虚空に浮いている。
肉体よりも短命な魂、というものがこの世界にはあって、短命なかわりに凝縮されて透明に近い炎になったそういう種類の魂は「世間」という夾雑物が炎のなかにはいりこむと凄まじい光を放ってそれをやきつくそうとする。その光芒はひとに衝撃を与え、楽しませ、あるときは何百万というひとの魂を燃焼させて野火の広がりをつくりだす。
人間が隠し持っている不思議な力のひとつであると思います。

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