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さよなら、民主主義

国民の戦意を調査した「特高月報」の1944年10月の記事に、 「戦争はいやだ。日本は必ず負ける。日本は勝手な国いやな国、日本全員米英の政治下領土になれ」という東京本所区の公衆便所に落書きが記録されていると半藤一利がしるしている。 あるいは多くの東京人が、戦争に負けた日の夜、灯りの覆いをとって、窓の目隠しも取り払って、ひさしぶりに明るい夜をすごした日の気持を、たとえば「ざまあみやがれ、これで戦争は終わりだってんだ」と述べている。 ちょうど反戦の主張をもった文学者たちや、地下の共産主義者たちですら、真珠湾奇襲を聞いて「なんともいえないスカッとした気持になった」と述べているのと対をなして、戦争に負けた夏の日の夜、戦争に負けたくやしさよりも、「これでもう抑圧された生活を送らなくもいいんだ」と、頭の上からおもしがとれた気分になった人が殆どであったように見える。 同じ「特高月報」に「戦争に負けたら敵が上陸して来て日本人を皆殺しにすると宣伝して居るが、それは戦争を続ける為に軍部や財閥が国民を騙して言うことで、自分は米英が其の様な残虐なことをするとは信ぜられん」と工場の壁に書かれていたと報告があるので、いま常識とされている、「男はみな性器を切り取られ女はみな強姦されると国民は皆信じていた」 という「証言」がどの程度ほんとうだったか。 実際にやってきたものは、なんだかきょとんとしてしまうようなことで、アメリカ軍が「強制」したのは去勢でも兵隊の妾になることでもなくて「民主主義」というものだった。 実際、「強制」という言葉どおりだったことは、例えば「忠臣蔵」を含む歌舞伎の演目は大半が「非民主的」という理由で上演禁止になったことでも判る。 当時の、「民主主義は天皇陛下よりも偉いのか?」 「民主主義で女も人間のうちに数へられるやうになりますか?」 というような問答を見ると、アメリカ軍が日本人に強制した「民主主義」というものが、どういう驚きと輝きで迎えられたのかわかるような気がする。 それは当時の日本人一般にとっては、なんだかよくわからないがありがたい菩薩観音のようなものだったのではなかろうか。 西欧人が日本にやってくると、日本では民主主義が奇妙なほど理想化されていることに驚く。 簡単に言うと「民主主義はフラストレーションの固まりだ」という基本的なイメージがないように見える。 ものすごくストレスのたまるシステムで、すっきりしない制度だという基本的なイメージがないように見えることがある。 TPPのときだったか「よく話しあって全員が納得するまで議論することが民主主義というものだ」という人がたくさんいて、びっくりしたことがある。 なぜなら制度としての民主主義は「全員が納得する」ことなどあるわけはないから生まれたシステムで、不可能なことを実現できると仮定すれば民主主義そのものの破壊を結果するのは当たり前のことだからです。 暴力を意識しない民主主義は機能しない。 国家という絶対暴力があって、そこに市民の側からの暴力が生まれて拮抗しだしたところに「民主主義」の萌芽が生まれた。 フランス革命は全体としては世にも惨めな失敗に終わってしまったが、しかし、1789年7月14日にバスティーユを襲撃した主婦達が長い鋤の柄の先に門衛たちの生首を刺して行進した姿は、一定の状況下では国家の暴力が絶対たりえないことを殆ど象徴的に「国民」たちに教えた。 パンの値段が暴騰したことを直截の理由とするこの革命によって人間が学んだ最大の政治的知識は市民の側にも国家と匹敵しうる暴力が宿りうることで、この発見は18世紀のヨーロッパを震撼させたが、一方では「民主主義」という不思議な手続きを発達させる基礎になっていった。 民主主義の成立を考えればすぐに得心できるが、もともと民主主義は「わがまま」な市民の「自分はこうしたい。他人のことなんか知らん」という強い欲求から、つまり、個人個人の強烈な欲求の圧力から生まれてくる。 ふたつの対極にある暴力が出会う場所が「公論」なので、民主主義国家においては議論が問題を解決しないとみると政府は暴力的に市民を取り締まろうとし始める。 アメリカのニューヨークで起きたことは良い例で大企業の秘書や航空会社のパイロットでも給料日が近付く頃になると、ひどいときには公園のゴミ箱を漁らなければならないほどの「中間層」の生活の苦しさを反映して起きたデモは自分達が議会に送り込んだ政治家たちに問題を解決する能力がないことを見越して起きた。 一方で、国家の側も、警察を送り込んで過剰にならないはずの暴力を構えて対峙した。 1996年9月10日、ポーリン・ハンソンの「Maiden speech」をきっかけに起こった「反アジア人運動」はオーストラリア全体に広がる国民的な運動になって、1980年代初頭の反日本人運動のような日本人だけを対象にしたものではなくて、全アジア人を排斥しようとする巨大な「One Nation」運動になっていった。 クイーンズランド州から始まったこの運動は他州にも飛び火して、シドニーのあるニューサウスウエールズ州に事務所を構える頃になると、オフィスビルや住宅地のアパートの窓やテラスから「アジア人でていけ」の垂れ幕が次次に掲げられる空前の国民運動になっていったのをおぼえている。 ポーリン・ハンソンは、そこから一歩すすんで、オーストラリアでは最も開明的だとみなされていたビクトリア州のメルボルンに事務所を開いた。 議会に解決能力がなく、放置すれば反アジア諸法案が通過しそうだと見て取ったオーストラリア人たちがとった行動は、反アジア主義者たちの予想を遙かに越えたもので、彼等は反・反アジア主義キャンペーンなどを通り越して、事務所を物理的に襲撃した。 生命の危険を感じた反アジア人運動の中心ポーリン・ハンソンは、有名になった12分間の「Death Video」を録画します。 「Fellow Australians, if you are seeing me … Continue reading

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No Worries

頑張らない、我慢しない、やりたくないことはやらない、と書くと日本語なら「座右の銘」みたいになってしまうが、こうやって意識にのぼるのは多分日本語で話をしているからで、そんなのはずっとあたりまえのことだと思っていた。 父親も母親もやりたくないことはやらないひとびとであるし、妹も同じ。 本人にいたってはやりたいこともやらないでずるずる午寝してしまう怠けものなので、頑張る、とか我慢するとかは、やろうと思っても、そもそも能力的に無理、ということがあったと思う。 それでも30歳くらいまで支払いが予定されていた両親からの金銭的援助は20歳のときにはいらなくなったので、ご辞退いたします、になったし、スーパーマーケットからカーヤードまで、何かを購買するときに値札をみる必要がなくなった(と言ってもケチなのでやはり値段を見て安いところで買うが)ので、人間などは努力しても努力しなくても、たいして行く末に変わりはないのではないだろうか。 かーちゃんのとーちゃんは、よく、「人間にとってもっとも大事なことは、青空を見て青いと認識できることではなくて、青空を感じられることである」というようなことを述べた。 いま考えても説教師じみてヘンなじーさんだが、多分、クリケットの試合が終わるとダッシュで戻ってきて、そのまま夕飯を食べるのもめんどくさそうに本ばかり読んで、それどころか放置しておくとデスクの明かりを灯してなんだか一心不乱に計算したりしている孫を「このまま放っておくとアホになる」と憐れんだからでしょう。 数学が好きな子供はほっておいても数学のことばかり考えているし、クリケットが好きな子供はクリケットばかりやっている。 どんな怠けものの子供でも本が好きな子供は、おとなの数倍というような量の本を読むし、音楽が好きな子供は、手に入るだけの数の楽器をあっというまにひきこなして、曲までつくるようになる。 「言語が好きだ」というヘンタイな趣味を持つ妹などは、きみは人間シャープ自動翻訳機か、というくらいいろいろな言葉を話して、しかもたとえばドイツ人と話していると「ああ、あなたはミュンヘンのご出身ですね?アクセントでわかります」と言われるほど手が込んでいる。 妹と兄(←わしのことです)に共通した欠点は、夢中になりやすいことで、青空を感覚せよ、と述べた祖父は同時に、1時間かけてやるべきことを40分でやってしまうのは愚か者のやることだ、ともよく述べたが、きっとゲーム好きの孫達が、要領ばかりよくて、他人が3時間でやることを1時間で片付けてしまったりするのを見て、若いのにアホだな、とげんなりしていたのでしょう。 人間の大脳は、もともと周囲から感覚器を通じて不断に流入する情報を処理するために発達した。 風が木の枝を揺らすいつもの枝音とは違った不協和な音、風のなかに微かに混ざる生物の匂い、闇にむかって耳をすますと、ほとんど、沈黙にほんのわずかなしわが寄ったとでも言うような微小な息づかい、そういうすべての情報を統合して次の瞬間の行動を決めるために神経系が集中して塊をなしていった。 あるいはアンテロープの群れを遠望して、あの二頭は群れから遅れ気味についていっている。 臭いで悟られないように風下から攻撃するのは当然として右からまわりこめば左の草原に逃げられてしまうが、左の中心の群れにいったん向かうふりをしておおきく回り込めば、きっとあの二頭は群れとは反対の方向に逃げて孤立するだろう、と思いをめぐらせる。 情報処理能力が発達の極に達して、ついに自分自身を情報処理対象とするに至ったのが人間の大脳なので、鏡を見て、ふり返る仕草をしてみて、現実よりもややハンサムに見えている自分の顔が、しかし、もう少し鼻が短ければよかった、と思ったりするのは、大脳の情報処理能力が生活に必要な能力よりも過剰になってしまった証拠で生物としては慶賀の至りなのだとは思う。 しかし大脳という情報処理システムの淵源を考えれば、与えられた情報からアウトプットとして出てくる判断は、意志が介在するものではなく、自動的なものであることは推論しやすい事柄に属しているはずで、あいだをとばして必要なことだけを述べると、絵を描くのが大好きな子供を弁護士にしようとする親の企みのバカバカしさは、そこにある。 自分でない何かになろうとすることほど人間にとって危険なことはない。 医学は間口が広い学問で、数学にしか興味がない人間でも文学にしか関心がもてない人間でも、絵を描く以外に時間の過ごし方が考えられない人間にとってさえ「医学」の名のもとにやれることが残っているが、そうであってもどうしても絵を描いてすごすほうが人間の身体を見ているよりもずっと好きで、生化学の本を読んでいると退屈で発狂しそうになる人間にとっては、高収入な医師であるほうがビンボな画家であるよりも遙かに危険で破滅の可能性が高い一生を送ることになる。 親の企み、と言ったが、遡れば、優秀な人間は医師や科学者や法曹家にしよう、というのは「社会の企み」である。 親は、そういう事柄に関しては、ときに、社会の側の子供に対するインターフェースとして存在しているだけにすぎない。 高度な段階の社会はテクノクラートを大量に消費する。 個々の家庭から優秀な能力をスポイトで吸いだしてITならITの分野のシャーレに容れて培養しようとする。 人間の大脳はもともと「気象」をイメージすれば最も類似している、変わりやすく破天荒でも一定の傾向をもつシステムだが、それを社会の側からの要請によって「有益」なものに変えようとするのが学校教育制度の、秘匿された、品の悪い目的で、「がまん」や「努力」が美徳として教え込まれるのは、そういう事情によっている。 成績がよいのに頭がわるい人間はトーダイでもよければハーバードでも構わない、その社会で有名な大学に行ってみれば群れをなして存在するが、そのうちの何割かは、鋳型に自分を押し込む途中で壊れてしまった人格なり知性なのであると思う。 そういうことにまったく気が付かないまま、学校のような、しょもない期間を終えて、食べたくない夕食はそのままテーブルに残し、行きたくないと思えば学校をさぼって庭の芝生に寝転がって猫とスパーリングをして遊びほうけ、それにも飽きると、目を細めて、深い、広大な青空を見ながら、世界はなんて綺麗な場所なんだろう、と放心したもの思いにひたりながらお午寝をしてしまう、という生活を許して、家のなかに「社会からの要請」が一歩も入らないように守ってくれた親の努力をありがたいと思うことがある。 家はときに社会のわがままから子供を守る為に存在する。 親は子供のわがままを社会のわがままに優先させられるただひとつの存在なのである。 この頃30歳をすぎて、小さい人が家のなかを走り回り、ときどき転んで思い詰めた顔で世界と廊下を呪い、猫にからかわれて地団駄を踏んでいたりするのを観察する毎日になると、それまでベールの下に顔を隠していた世界が、少しづつ姿を見せてくる。 主要なこともあれば些細なこともある。 あ、そーゆーことだったのか、と思う。 努力しても努力しなくてもアウトカムは同じようなものだ、とか、 頑張るとろくなことはない、とか、 我慢などにいたっては、健康にわるいだけで良いことはまったくない、というような知見は最近のものに属する。 いままで、30年余、さぼり続けてきてよかったなあー、と心から思う。 社会のほうでは不満かも知れないけど。 社会くん、すまんが我慢してくれたまえ、わるいね、としか思わなくなった。 それでも収入も幸福も単調に増加してゆくところをみると、社会くんのほうでも、悟るところがあったのではあるまいか。 アホに見えて、案外、思ったよりも理解力があるようです。 (Touch wood) … Continue reading

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ネオ自民党

1 オークランドでは、同じレストランにでかけても、味もサービスもまったく異なるものになっていることがよくある。 「ビジネスブローカレジ」(←英語の会話では聞かれない表現だが日本語のカタカナにすると他にいいようがないのが面白い)が発達しているからで、たとえば自分で10年前にラーメン屋を始めて、そこそこうまくいっているが、もうラーメンをつくって暮らすのは飽きたので、ラーメンは食べるほうだけにして、今度は画家になりたい、というような場合、ビジネスブローカーに頼んで、レシピ、仕入れ先、というようなものまで含めてすべて込みでラーメン屋をやってみたい人に「ビジネスごと」売ることが出来る。 日本でもたしか1990年代に営業権の売買をしてもいいことになったので法律的には他国なみにビジネスの売り買いが可能なはずで信用金庫やなんかでビジネスブローカーを部門として持っているところはあるが、ニュージーランドのように店頭にビジネス売買の写真がいっぱい貼ってあって「デイリー、現況売り上げ年8万ドル、7万ドルで売ります」と書いてある、というふうにはならなかったようです。 自民党は、もともとは政治学者にとっては大変興味深い政党で、どのくらい興味深い政党だったかというと、たとえば宇都宮徳馬というような自民党代議士のことを考えると直ぐに判る。 戦前、河上肇に師事したマルクス主義者として出発した宇都宮徳馬は京都大学時代には2階の教室から警察官たちに椅子や机を投げつけて抵抗するというような武勇伝を残したあとに治安維持法で逮捕投獄されると転向するが転向後は今度はばりばりの国家主義者になってしまう人が多かった日本の他の転向共産主義者とは鮮明に異なって、現実主義者の宇都宮徳馬は「表向きだけ転向して」内なる共産主義を育て上げ、年齢を重ねれば重ねるほどチョー過激な共産主義者になっていきます。 満州事変が起きると、当分、日本は戦争ばっかりやるに決まってる、と考えた宇都宮徳馬は軍事産業に株式投資してボロ儲けする。 今度は、その資金を使ってミノファーゲンという肝臓の薬をつくる会社を設立して、株式投資であげた利益に数倍する利益をあげる。 ミノファーゲンがバカ当たりしたあと、「しめしめ、これで革命資金が出来たわい」と思ったでしょう。 戦争が終わった1952年になると、日本共産党や社会党の観念的で反革命的な体質を知り抜いていた戦前からの筋金入りの共産主義者宇都宮徳馬は、現実主義を政治の場でも発揮して自民党から東京2区に出馬して当選する。 この人についてのwebページ記事を見ると「最左派のために党内から孤立していった」と書いてあるが、なにしろ自分がチョー過激な共産主義者であることを知り抜いているこの人は別段に「孤立した」という実感はなかったでしょう。 初めから党内に同志をみいだす、というような考えはなかったように見える。 衆院議員としてキャリアを積んでいったのは、まったく別の理由に拠っていて、日本の外にあって、日本では自民党を相手にする以外には実効的な政治活動は出来ないことを知悉していた外国の共産主義者たち、すなわち中国共産党の中国との国交の正常化、というようなことを表面からは見えない世界ですすめるためだった。 実際、この人が自民党のベテラン議員としてつくった人間関係を通じて、たくさんの中国通の人材がNHKをはじめとした日本のメディアや大会社、コネ採用しか考えていないような機関や会社に入っていく。 一方では、むかしは華僑と呼ぶことが多かった在日の中国人ビジネスマンたちとも「腹を割って」話し合い、手分けして活動して、田中角栄の日中国交正常化に結びつけてゆく。 具体的なことはブログ記事に書いていいようなことではないので書かないが、昔からアジア外交に通じている人達にとっては常識にあたることのようで、インタビューしてみると、何の記録もない、起こらなかったことになっているはずのことを、案外とニコニコ顔で話してくれたりして、「歴史は必ずふたつ存在する」と述べた歴史学者の言葉をかみしめたりした。 1955年に保守合同で出来上がった自民党には宇都宮徳馬とともに岸信介もいた。 いまの日本国首相安倍晋三のおじいさんです。 東條英機たち大日本帝国陸軍将校団と結んで日本の行政を牛耳っていた国家社会主義官僚群のチャンピオンで、実際、戦争中の1941年にはいまの経産省大臣にあたる商工大臣として軍国日本の経済を企画して、1943年に日本が持つすべてのリソースと産業の力を戦争に注ぎ込む「総力戦」であることが明らかになると、東條英機が兼任した軍需省大臣に次ぐナンバー2として辣腕をふるう。 右翼、左翼というのは日本では途方もなく不適切な実情にあわない言葉で、常に日本の政治を見誤らせる原因になってきた言葉だが、どうしてもそういう言葉を使いたければ左翼も左翼、左翼の左のはしっこの、もっとずっと左にいて、全共闘の理論家もあきれかえるような、チョー左翼の宇都宮徳馬に対して、こっちはまたまた右翼よりもずっと右にいて、あとでリー・クアンユーが採用して、それを見習った香港も成功したので、自分達も取り入れることにした中国共産党がいまこの瞬間にとっている経済のつくりかたの手法は、よく考えてみると、皮肉にも岸信介たちが考えた国家社会主義経済手法だが、その産みの親の右翼よりも右にいる岸信介も同じ船にのっているという奇妙な政党が自民党だった。 自民党が左の端っこから右の端っこまでの政治信条の人間がいる奇妙な政党になった理由は、政治の表側からは見えなくて、たとえば後藤田正晴の伝記をよく読めば、ようやくうっすらと見えてくる日本の政治の姿、特に、選挙はオカネがかかりすぎる、ということにいきつく。 政治の世界では田舎の小村から大都市まで、おいてけ堀の手のひらのように国民がいっせいに手のひらを突き出して「くれくれ君」をしているという図式があって、日本にいたときに選挙の頃に田舎をクルマで旅行すると、相手が外国人である気楽さで、 「あらあー、あんた、ガイジンなのに、そんなことまで知ってるのー? ソ連のスパイなんじゃない? あっ、もうソ連ないのか」はっはっは、と怖い冗談をとばしながら、 「あのHさんて人はね、もうダメなのよ。ご祝儀も昔は万札が二枚はいってたけど、今度は五千円だから。勢いがない。年をとるとさびしいもんよねー、てみんな 言ってるの」と言うおばちゃんおじちゃんたちがたくさんいたし、義理叔父に至っては某県某町の町道を運転していたら向かいから軽トラックを運転してきた別荘出入りの顔見知りの大工のじーちゃんが何を勘違いしたのか、「あんた、こっちから来たんだったら、選挙、Kさんだろ? あのひと、もうダメだよ。ダメ、ダメ。このあいだの選挙のときは出すひるめしも鯛のおかしら付きで、毎回、ご祝儀袋もたんまり出たけど、今度はしみったれて、一文もださねえ。KさんなんかやめてM先生のほうに鞍替えしないと損だよ!」と言われたと述べてげんなりしていた。 自民党は巨大な「マネーバッグ」で、いろいろな思想の持ち主や、思想がない政治家や、たいしてカネをまかなくても票が期待できる安上がりに員数をあわせるためのタレント、宇都宮徳馬や藤山愛一郎のように自前の財産はあるが、マネーバッグとしての自民党の巨大な規模とオカネだけの結びつきであるがための「政治信条や思想はどうでもいい」政党内の空気のせいで自民党に党籍を持っていた人もあわせて、「オカネでまとまっている集団」として存在していた。 存在のありようは「この世はカネさ」で下品だが、当時の世間で悪く言われたほど悪いことばかりではなくて、なにしろカネさえ集まってくれればなんでもいいや、というありようだったので、アメリカが突然日本を公然としかも明瞭に裏切って頭越しに中国と国交を結んでしまったりしたときには、党内に中国共産党の要人と秘密裏に通じている議員や台湾派、アメリカ通、通常ならばありえないバラエティを自前でもっていることが、たいへんな幸運として機能した。 あるいは政策的にも自民党内部にさまざまな派閥があって、憲法第9条ひとつとっても、明日にも徴兵制をやっちまおうと思っている中曽根康弘のような代議士もいれば、そんなことばかり言っているからきみはダメなのさ、と考えている田中角栄や大平正芳のような代議士もいた。 しかも、代議士の数を読みあいながら、まったくの敵同士が手をつないで連合したりもして、自民党の党内だけで「政治」が存在するような奇妙な図式になっていた。 悪い方は、日本の政治からは本来の意味での「野党」というものがなくなってしまったことで、自民党が「オカネだけのまとまり」のなかで十分すぎるくらいの政治的バラエティを持ってしまったために野党のほうは「現実および現実主義に反対する党」というようなおかしな立場になってしまった。 土井たか子などは、いまでも北朝鮮について述べたお伽噺のような認識のせいで笑い話になっているが、その遠因は、要するに現実を扱いうるような思考を持った人間は「野党」ではありえない、という当時の日本の特殊な政治事情にある。 自民党の落日の始まりは、田中角栄がオカネ集めに有能すぎたことで、毎日お昼になると鬱勃とした性欲が堆積して気が狂いそうになるので赤坂の芸者に「布団のなかにはいって待っててくれ」と頼んで、せかせかと出かけては短い昼休みにイッパツやってからでないと午後がおくれなかったという、この異常な精力家は、ふつうのビジネスでは失敗ばかりだったが、政治というからくりからオカネをひっぱりだしてくることにかけては天才的な腕前をもっていた。 後藤田正晴は、警察向きな、極めて明確な判断をもたらす知性をもった官僚人で、好戦的な政治家たちが憲法第9条を改正することが出来なかったのは半ばは、この切れ味の鋭い論理の感覚を持っていた官僚政治家が護憲の鬼のような姿で憲法の門前に仁王立ちしていたからだが、この人の明瞭な日本語が田中角栄のロッキード汚職や自分がはじめての選挙でオカネをばらまきすぎて金権候補と名指しされたことになると途端に訳の判らないモグモグ語になってしまうのは、ほんとうは「だって、あんた、日本の政治家であるかぎり、みんながやってることなんだから仕方がないじゃないか。日本では日本共産党員か創価学会員でないかぎり、オカネの泥沼のなかで何億かをつかみだして、それを選挙民に向かってばらまく以外には政治家になる方法が他にはないのは、政治家なら誰でも知っている。つまりは、国民の卑しさが悪いのさ」という「ほんとうの気持」が言えなかったからである。 人心にしろなににしろ、万事、本質をつかむのが早かった田中角栄は、「政治はカネだ」という明瞭な「自民党の理屈」を呑み込んで、誰よりも効率的に処理して権力を積み重ねていったが、ロッキード事件で有罪になってからは、高層ビルの屋上の端っこに追い詰められて、なおも胸を押されて爪先だちしている人の必死さでオカネを集め議員を増やしていった。 その結果困ったのは自民党内の多様性のバランスが壊れて、ほんとうに政党みたいなものになってしまったことで、その瞬間から自民党は政党としての本質の最奥からふきだしてきた腐敗ガスによって自らが窒息してゆく。 多分、あいつらじゃダメだが、もう、ここまで来てしまえば仕方がない、現実処理能力のなさには目をつぶって二大政党制を自分たちの力で生み出すためにイチかバチかやってみるほかにはない、と悲壮な決心を固めた日本人たちが民主党に投票して、大勝した民主党が浮かれて愚かな夢に溺れていたころ、自民党は、「たかが民間銀行風情」の某市中銀行に政党としての借金の返済を恫喝的に迫られるほど落ちぶれていた。 マネーバッグから借金バッグに変わった自民党からは、ひとりふたりと「オカネにだけ用事があった」ひとびとが離れて、あとに残ったのは岸信介の孫を中心にした赤穂浪士じみた議員たちだけだった。 この頃の自民党議員たちは、頭数で借金を割るといくらになるのだか忘れてしまったが、たしか何億だかの借金を論理的には負っていたはずです。 そうやって看板は「自民党」だがまったく内容は異なる、むかしの国家社会主義の夢に極めて近い夢をみる人間の集団として自民党は政権に帰ってきた。 安倍首相の第一期目の失敗は、自分が本来やりたいことである、「強い日本」「海外で肩で風を切って歩ける日本」「若者が国を愛し、日本を愛し、そのためには死もいとわない美しい日本」の実現に夢中になりすぎて、経済はどうでもよくなってしまい、選挙での姿を思い起こせば安倍晋三も気がついたはずの、見渡す限りの「美しい日本」から突き出された「くれくれ君の手のひら」の持ち主たちを失望させてしまったことだった。 … Continue reading

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ある物理学者の友達への手紙3

(この記事は、 http://gamayauber1001.wordpress.com/2013/09/04/ある物理学者の友達への手紙2/ ある物理学者の友達への手紙1 の続きです。) データがない事象をおそれよ、と述べるのは科学者にとってはたいへん勇気が必要な行動であるのは誰にでもわかる。 ちょっとくらい放射能あびたってダイジョブですよ、そんなもの、と思っているほうは、「きみは非科学的な根拠によって被災地のひとびとの恐怖を煽っている」と軽く皮肉な笑いを浮かべて「きみは、それでも科学者か」と言っていればいいだけのことで、なにしろ科学的に考えようにもデータそのものがないのだから、データの解析を出発点とする科学にとっては手も足も出ないのは高校生にでもわかる理屈であると思う。 だから、きみが、「福島県の浜通ではたいへんなことが起きているようだ。メルトダウンが起きるほどの事故で、いまくらいの安全対策で無事にすむわけがない」と言のを見て、ぼくはひどく驚いた。 日本人にもこんなひとがいるのか、と思って、それから、なんて偉い奴なんだろう、と考えた。 科学者は科学者であるよりもまず先に人間でなければならない、というアホでもわかる理屈の、ぼくは、信奉者だからです。 そうして、科学者が科学ぽい情緒に固執することによってときに悪魔でも顔をしかめるような存在になるのは、人が考えるよりもずっと簡単なことなのでもある。 その頃、日本ではどんなことが起きていたかというと、政府が、ここで従来の放射能の安全基準を適用すると国の財政は破綻するしかない、という、主に金銭的な理由から事故原子炉30キロ以遠の福島県住民は退避しなくてもよい、と官房長官が公式に述べて、アメリカ政府やフランス政府のような、自国の住民が東北に住んでいて、いったんは、こういう場合の通常のやりかたに従って「日本政府が提供する情報をよく聞いて、それに従って行動するように」というメールを出すことになっていた国ぐにを慌てさせていた。 結局、当該政府が信用できない開発途上国の大使館なみに自国独自の避難方針を個々にemailで連絡するという異例の対応になってゆく。 外国にいるぼくたちを最もびっくりさせたのは、当初から「日本政府は広義の財政的な理由によって住民を退避させない可能性が高い」と言われていた政府の「当面はダイジョブ」アナウンスメントではなくて、日本の科学者たちが、放射能をおそれる必要はない、と口々に言い始め、あまつさえ、「でも、わたしには幼い子供がいます。ほんとうに、ここにいていいのですか?放射能がやはり怖いのですが」と訊ねる母親たちを、「非科学的だ」と罵りはじめたことだった。 それは世にも奇妙な光景だった。 さて、こういう「科学者」たちは、どんなひとたちなのだろう、と、それまで名前を聞いたことがない「科学者」たちだったので、インターネットを使って調べてみると、ほとんど何の情報もない。 仕方がないので、日本にいる年長の大学人に問い合わせると、もう大学という業界では「えらく」なっているひとたちなので、割と簡単に専門分野や背景、それぞれの分野での本人の評判というようなことまで、あっさり教えてくれた。 原子力の専門でも医学の専門でもない人が多かった。 山下俊一という人だけが名を知られた、この分野の医学者で、チェルノブルにも派遣されたこの人は、カトリック教会の敬虔な信者で、「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています」 と述べている。 日本の科学者は科学者としてのプライドに従って行動するよりも「科学者という肩書き」を使ってする政治的な行動のほうが好きらしかった。 ツイッタのアカウントから「誰それは非科学的なデマをとばしている」 「この人の言う事は、科学者として聞いていられない」 と述べたり、ぼくは日本のテレビを観ないのでわからないが、テレビにまで出て、「科学的な考え」を述べた人もいるそうだったが、そういうことは無論人間の社会行動のカテゴリとしては「政治行動」で、科学とは何の関係もない。 2010年はスティーブン・ホーキングが「神は不要になった」と述べて、永遠の科学弾圧者であるカトリック教会を中心とした宗教人の激しい攻撃や嫌がらせにあった年だったが、傍観者には終始科学者としての立場から一歩も出ないで神が不要である根拠を述べて、政治的行動にあたる部分を避けようとして、おおむね成功していたのに対して、宗教側はムスリム人は宗教家として攻撃していたと言えなくもなかったが、キリスト教勢は、神とはあんまり関係のない哲学のようなことばかり述べていて、しかも行動は常に政治的なものだった。 日本の科学者は、政府の要人に呼ばれて舞い上がってしまったのだと思うが、ほとんど政治家として行動することになった。 コピーライターのひとのインタビューにこたえて「いよいよ危なくなったときに住民に動くなという腹がすわったことが言えるか、と要路の政治家たちに述べた」と自分がいかに救国の使命感に燃えたか、という調子で答えている物理学者の姿をみて、普段の地味なモグラのような研究から陽の光の中に出て、スポットライトを浴びて、得意になって、正視に耐えられない調子っぱずれの見栄をきるひとの無惨な姿を見るおもいだった。 このひとも、別に、放射能禍に関連するような専門を勉強したことがあるわけではないそうでした。 科学者が政治的スポットライト、というか、簡単に言えば社会との手応えのある関わりを求めて「自分は科学者である」という肩書きで政治的行動に走ることは歴史上たくさん例がある。 今回の日本の科学者たちのように、ちょうど昔日本で流行った押し売り手口に、家庭を「消防署のほうから来ました」と言って訪問して、なんとなく消防署員ぽい服を着て、応対に出た主婦を、「そんなに火事について無知でいいわけがないでしょう。もっと勉強してください」と恫喝したりして、説教を述べて、消火器を売りつけるという自己満足とボロイ儲けの一石二鳥の商売があったそうだが、「科学の方から来ました」で東大教授や阪大教授の肩書きの、まだ「学者」が偉いアジア的後進国性を残した日本人の純朴なアカデミア信仰を利用して、さんざん相手を説教して、なんだかよく判らない溜飲をさげたり、研究者としての迂遠な社会との関わりから、一挙に何十万というフォロワーを従えるスポットライトに出た興奮に酔って「春雨じゃ濡れていこう」と述べたりして、子供じみた浮かれ方だが、そういう「科学のほうから来ました」のインチキな科学者と社会の関わり方では、科学者が政治的行動をとることの真の恐ろしさが判らないので、正真正銘科学者が科学者として関わって、しかもなおたくさんのひとびとを地獄に突き落とし、科学の名のもとに大量殺人まで起こした例を一緒におもいだそう。 ワイマール共和国時代のドイツは医学水準において、問題にもならないくらい世界のなかで傑出していた。 当時のドイツ医学は「pinnacle of the world」というような表現がぴったりで、ライプチヒ大学やミュンヘン大学、ベルリン大学で医学を学ぶことはアメリカ人の医師志望の青年にとっては最上の「箔付け」だった。 アメリカ人にとっては、いまで言えば、ちょうどハーバード大学かジョンズ・ホプキンス大学に行くようなものだったでしょう。 ドイツ医学のおおきな特徴のひとつは「人種」に対する意識が大きかったことで、19世紀に終わりに生まれたEugenics(優生学) http://en.wikipedia.org/wiki/Eugenics はドイツでおおきな発展をみることになる。 このドイツ式医学思想はアメリカのエリート医師たちの頭に叩き込まれることによって、アメリカにも渡って、アメリカ人たちは真剣に「sterilization」(断種)によって自分達の人口構成を「より良い」ものにしようと考え始める。 英語の本にはsterilization運動をドイツ人が始めてアメリカ人に影響したように書いてあることが多いが、事実は逆で、アメリカの運動にヒトラーが感動して、逆輸入することになったもののようである。 … Continue reading

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Cogito ergo sum

クオークの発見は人間の一生の意味を変えてしまった。 「発見」といっても、ぼく、クオークを見たことないんだけど、というきみの声が聞こえそうだが、あたりまえと言えばあたりまえで、人間は自分の頭脳のなかでクオークを「発見」したので、科学者がナノサイズのそのまた何兆分の一のロケットをつくって物質のなかを探検して、「翼よ、あれがハドロンだ!」なんちゃったわけではない。 クオークには物理的な姿はない。 姿がみえないのに「発見」はヘンだろう、というひともいるのかもしれないが、その姿がないものの発見こそがクオークが人間の認識にもたらした衝撃の本質で、クオークはそれが極小な物理現象を説明する限りにおいて実在している。 仮にクオークが不要な極小物理現象の説明が可能であれば、クオークは「存在が疑われる」のではなくて存在しないことになる。 と、ここまで書いてきて、もう気が付いた人がいると思うが、クオークの実在の仕方は気味がわるいほど神の「実在」の仕方に似ている。 だいたい、そのへんのところで、科学への理解力がある大司教たちは、嫌な予感にとらわれたものであると思われる (^^;  人間の視覚はふつうのひとがイメージするよりも遙かにぼろくて、腕を、まっすぐ、いっぱいに伸ばして親指を立てたときに親指で隠れている範囲だけが事物の認識に必要な解像度を持っている。 視野のほかの部分は「なんかあるんだな」という程度の極度にぼんやりした映像です。 その上に言うまでもなく、人間の目と視神経の構造はイカやタコよりもだいぶん劣った劣悪な構造になっているので、ほとんど手順を間違えたとしかおもえない発生の都合によって視神経がいったん眼球内部に突起してしまっているので、それを眼球外の視神経と連絡するために、ぶざまな、「盲点」と呼ぶ暗黒点がふたつある。 欧州で上司のすさまじいオーデコロンのにおいに悩まされながら天文研究生活を送っている「もじんどん」とツイッタで冗談を述べていたら、もじんどんが途中で、このひとの地ベタに足が貼り付いてしまっているようなマジメさを発揮して、「でも、光学望遠鏡の天体写真といっても複数の写真の合成だからCGと言えなくもないけど」と述べていて、そのときはパンケーキを食べる直前だったのでメープルシロップをかける手をとめて述べるのはめんどくさいので、そのままツイッタ上の会話から離れてしまったが、そのときに、「言ってみてもいいけどねー」と思ったのは、人間の目も、要するにCGで、大脳が人間が日常みていると思っている映像をつくっているのは、たかだか親指のおおきさの視野から大脳が合成したグラフィックで、肉眼もCGにしかすぎない、ということだった。 ルネ・デカルトが「Cogito ergo sum」(I think,therefore I am) と述べたように人間は肉体というハードウエアとmindというソフトウエアに分かれている。 mindというソフトウエアのプロセッサーが肉体の部品である大脳で、この大脳というプロセッサは自由意志がノーテンキに信じられていたむかしとは異なって、現実には、人間の肉体がその部分であるchaoticな物理現象そのもので、いつも嵐が吹き荒んでいる内部宇宙というか、絶え間なく何万というダイスが転がされているとでもいうような、コンピュータゲームなら8ビット時代から有名な「ライフ」をイメージしても悪くはないが、人間が「意志」という言葉で自分で意識するよりもずっと物理法則に支配された、初期条件によってほぼ一意的に導き出される、予定的なものです。 初期諸条件が多すぎるので、かつては、解きほぐすわけにもいかず、めんどくさいので、自由意志みたいなものがあるとされていたもののよーである。 ハードウエアである大脳がmindという機能の総称をもつ情報処理系にしたがって結果としてはきだしたものが人間のこの世界への認識、つまり現実だが、視覚のようなごく基礎的な情報がすでにCG処理で出来ていることでわかるとおり、「現実」はmindよりも下位の真実性をもつものにしかすぎない。 たこ焼きの香ばしいにおいや、出来たてのたこ焼きの上でヘニョヘニョダンスを踊っている花かつをが、いかに頼もしげな「現実」に見えても、BBCが最近惑溺している、CGを駆使した最新の恐竜サファリプログラムというようなものを観れば一目瞭然で、もういちどしつこく繰り返すと現実はmindよりも下位の真実性しか持っていない。 「生きがいとはなにか?」「どうすれば意義深い人生が生きられるのか?」というようなワニブックスのハウ・トゥーブック的な深刻さをもった人生の意味を考えるときに、意識されなければならないのは、人間が宇宙の物理法則の支配下にある100%物理的な存在で、カオス的な精神や意識というようなものも含めて、宇宙の物理現象内に限定される存在であることがまず第一だろう。 人間の大脳内を3.5V程度の電圧を閾値にして駆けめぐる信号は、たとえば群れから少し離れたアンテロプをどうやって捕食するか、というような莫大な情報の処理を必要とする雌ライオンの大脳とほぼ同じ思考傾向をもつが、そうやって形成された人間の思考と意識は、同じ結論に到達する強い傾向をもっていて、だんだんに理を詰めて考えていくと、人間の「自由意志」などは実際には与えられた初期条件にしたがって起こる物理的諸法則にしたがった結果で、「人間性」というようなものは、強固な意志であるよりは初期条件に依存していることに思いいたる。 人間の一生はアミノ酸の生成と消滅、雲の生成と消滅、銀河の生成と消滅、と本質的に変わらない生成と消滅の事象にしかすぎないが、ハードウエアとして(枚挙の筋道がおおく、通常の事象よりも桁違いに偶然性が高いために混沌とした)有機的ハードウエアを選んだために情報処理、つまり意識の対象として自己も選択してしまった、ということに人間というハードウエアとソフトウエアのセットの特徴がある。 人間が「なぜ?なぜ?なぜ?」と知性それ自体が狂気であるかのような巨大で無意味な好奇心を持ち、あらゆることを問い続ける存在であるのは、そもそも、まるで天気そのものが頭のなかで発生しているような、気まぐれで、混沌としていて、ちょっとしたきっかけで、あっというまにおおきく変化する「自然物としての集中神経系」を耳と耳のあいだにもっているからである。 混沌を制御する最も有効な方法として人間の大脳とmindのセットは「疑問」を採用した。 人間が解答が存在するはずのないことにまで疑問をもつのは、要するに疑問をもつことそのものがchaoticな内部宇宙である人間の意識が拡散してしまわないためのバインダの役割をはたすからである。 厄介なのは、ここで制御方法として人間というシステムが採用した「疑問」は自動的に自意識に対しても向けられてしまうことで、自分自身を処理対象とした情報処理は、その論理的不可能性に従って、つきつめる速度がはやすぎると自殺に至ることまである。 人間の認識の方法が発達していくに従って、現実はあってもなくてもどちらでもよいことになっているのは、ほとんど自明であると思う。 自分の存在を疑いのない実在であることを前提にしている「生きがい」というような自分の存在への認識の仕方も、古い時代の言語の金魚鉢のなかから人間が世界を眺めていた時代の、屈曲でひどく歪んだ自己存在への認識として笑い話のタネになってゆくだろうと思われる。 人間が宇宙が生み出した最高の美しさを持った系であることと、それを「自分」として意識する輝かしい病を獲得したことは別の問題に属する。 ほんとうは人間の一生の意味、というようなものが、1ページ目から書き直されなければいけない時に来ているのだと思います。

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Sfmato レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密

レオナルド・ダ・ヴィンチは「万能の天才」ということになっているが、あの飛行機械のスケッチ http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/37/Leonardo_da_Vinci_helicopter.jpg/220px-Leonardo_da_Vinci_helicopter.jpg を見て、ヴィンチ村のレオナルドにエンジニアとしての素質があったと思う人はいないだろう。 実際、さまざまな形のダ・ヴィンチの「飛行機械」のスケッチをみると、オモチャの飛行機のそれで、材料の強度の点でも、あるいは仮に十分な強度をもたせると重量の点で、強度と重量を解決しても今度は機関出力(と言っても人力だが)の点で、みるからに空を飛べないレオナルド・ダ・ヴィンチの飛行機で空を飛んでみようとする人間はいなかった。 タンク(戦車) http://en.wikipedia.org/wiki/Armoured_fighting_vehicle#mediaviewer/File:DaVinciTankAtAmboise.jpeg のほうは、もう少しマシだが、ここには秘密があるというか、レオナルド・ダ・ヴィンチのこうしたアイデアは有名なノートブックに彼が描いたスケッチの数々が発見したドイツ人の手から離れて世界じゅうに広まっていったものであって、レオナルドは当時の習慣に従って、見聞し議論してものをノートブックに描きこんでいったものであることがいまでは判っている。 Konrad Kyeserは13世紀を生きた頭のいかれたマッドサイエンティスト、もう少し具体的に言うと物理学者で軍事技術者だったが、タンクのアイデアは、この頭のいかれたおっちゃんの独創的なひらめきが氾濫する頭のなかで作られた「War wagon」 http://en.wikipedia.org/wiki/Konrad_Kyeser#mediaviewer/File:Konrad_Kyeser,_Bellifortis,_Clm_30150,_Tafel_01,_Blatt_01v_(Ausschnitt).jpg が淵源で、この考えにさまざまな人が改良をくわえて、レオナルドの戦車もそのひとつである。 Konrad Kyeserは攻城兵器 http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Konrad_Kyeser,_Bellifortis,_Clm_30150,_Tafel_13,_Blatt_74v.jpg http://www.pinterest.com/pin/563512972097100497/ ロケット http://manuscriptminiatures.com/3975/11005/ よく訳がわかんない凧 http://en.wikipedia.org/wiki/Konrad_Kyeser#mediaviewer/File:Konrad_Kyeser,_Bellifortis,_Clm_30150,_Tafel_21,_Blatt_91v.jpg に始まって、貞操帯まで http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Konrad_Kyeser,_Bellifortis,_Clm_30150,_Tafel_15,_Blatt_82v.jpg 莫大な数の発明アイデアを絵入り図解本の「Bellifortis」というチョー有名な軍事マニュアルに描き残したが、レオナルド・ダ・ヴィンチは、Francesco di Giorgioを通じて、この本にアクセスがあって、大好きだったことが判っている。 「なんだ模倣だったのか」というのは、現代人の考えることで、知識のあるもの同士がアイデアを共有して、「ここはこうしたらどうか?」「そこは、ほら、こういうふうに変えるとうまくいくんじゃない?」というスタジオ主義とでも言うべき集団作業の時代を生きていたレオナルドが、鼻歌をうたいながら、「Bellifortis」にでてくる機械にデザインを変更を加えては、かっこよくして、悦にいっているところが見えるようである。 レオナルド・ダ・ヴィンチのトレードマークになっているVitruvian Man http://en.wikipedia.org/wiki/Vitruvian_Man#mediaviewer/File:Da_Vinci_Vitruve_Luc_Viatour.jpg からして、もともとはSienaの偉大な天才技術者で芸術家のMariano di Jacopo il  Taccolaのアイデアで、 https://plus.google.com/+ZephyrLópezCervilla/posts/8Tv1CeouZ9Y レオナルドのオリジナル・アイデアではないが、こうやってみても、レオナルドのほうがぜんぜんかっこよくて、レオナルド・ダ・ヴィンチの才能がデザイナー&画家としての洗練と表現にこそあったのがよくわかります。 えー、ほんとですかー、という疑い深い人のためにつけくわえると、レオナルドがFrancesco di Giorgio http://en.wikipedia.org/wiki/Francesco_di_Giorgio が描いたものを通じてタコラの描いたアイデア群を読んでいたことは文字の記録になって残っている。 … Continue reading

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「日本のいちばん長い日」を観た

もう誰だか忘れてしまったが終戦からしばらくした日の夜更けに偶然お堀端で米内光政にでくわした人が書いた文章を読んだことがある。 この聴き取りにくいほど東北訛りのつよい、最初から最後までアメリカとイギリスを敵にする戦争をやって勝てるわけがないと主張して、開戦の前も終戦のときも、内閣に席をしめていた海軍大将は、かすりで、暗闇のなかで、たったひとり、お堀端の草地に吹上御所のほうを向いて正座して、号泣していたのだそうでした。 あまりの異様な光景に米内光政を見知っていたこのひとが声をかけられないでいると、そのうちに、元海軍大将は、「陛下、申し訳ありませんでした、陛下、米内をおゆるし下さい」と言いながら、その場でくずれおちるように地に伏してしまった。 このブログ記事でずっと見てきたとおり、戦後の日本マスメディアの太平洋戦争観は美化されすぎていて、とてもではないが、まともに相手に出来るものではない。 ツイッタでも「特攻などは、ただの犬死にで、そこには美しさなどかけらもない」と書くと、長くフランスに住んでいる日本人の女のひとが「国を思って身を捧げた特攻隊員の気持ちを『ただの犬死に』だなんて許せない」と言ってくる。 だが当時の「特攻隊員」が戦後になって残した証言は、たくさん残っていて、名のあるひとならば城山三郎のような作家から西村晃のような俳優がいる。 あるいは、なぜか同じ人であるのに日本のマスメディアのインタビューに対しているときよりは遙かに率直明瞭に証言を述べているBBCやPBSに出てくる無数の元「戦士」たちは、異口同音に、「志願制」のからくり、特攻強制のために故郷に残された家族を人質にとってしまう日本社会の残酷さ、ある場合には、このひとは本人が中国戦線以来の歴戦のパイロットで、軍隊のなかで一目も二目もおかれる立場で、上官といえども、星の数よりメンコの数、無暗に居丈高になれる相手ではなかったからだろうが、日本社会の文化慣習からおおきく外れた行動をとったひともいて、 「自分は通常の急降下爆撃のほうがおおきな戦果をあげる自信がある。 出撃して艦船を沈められなかったら、そのときは殺してくれ」と上官に直訴しても退けられ、ではせめて敵がみつからなかったら帰投することを認めてくれ、と述べると、 それも許されない、死ぬ事が最も肝要なので、そうまで言うなら爆弾はボルト止めすることにする、と告げられた飛行隊長もいた。 爆弾をボルト止めする、というのは着陸しようとすれば爆弾が爆発して間違いなく死ぬということを意味しています。 むかし、ロンドンのカシノで会ったアメリカじーちゃんに、じーちゃんが目撃した彗星艦爆パイロットの話 https://leftlane.xyz/2017/11/11/judy/ を聞いたときには、いまひとつピンと来なかった自爆の理由が、いくつかのドキュメンタリを観て判った。 たとえ生還しても銃殺かボルト止めした爆弾を抱えた再度の特攻出撃命令が待っているだけで、それほどの屈辱的な死を選ぶより、自分が戦場として数年間を戦った海で死んだほうがよい、と考えたのでしょう。 「帰ってくるな」と言われた屈辱を、あの人は思いきり海に自分の生命を叩きつけることで表現したのであるに違いない。 ありとあらゆる人間性の弱点に不思議に通じていたナチはヨーロッパでは擡頭期から、ここという内政・外交の切所にさしかかると「美しい女を抱かせる」のを常套手段としたが、日本の、しかも一般世界から隔離されて生活してきた日本の軍人武官のようなナイーブさではひとたまりもなくて、当初はドイツをバカにしきっていた海軍軍人たちも、「親独派」に変わっていった。 イギリスには、ドイツにおけるのと同じもてなしを期待した日本の軍人が、「わたしのご婦人のほうはどなたに世話していただけるのでしょうか?」と訊いて、にべもなく、世話をする担当将校に 「われわれの国では、ご婦人と同衾するためには、その前に『恋愛』が必要なので、ご面倒でも、そこから始めていただかなければなりません」と言われたという話が残っている。 日本側には、これと同じ話が親日本的なドイツ人と較べてイギリス人の度しがたい人種差別の証拠として伝わっていたそうです。 最も決定的だったのは、最大の陸軍国、軍事的巨人とみなされていたフランスが、あっけなくドイツの機甲師団群に敗北して、インドシナが空白になったことで、当時の標語でいえば「バスに乗り遅れるな」、ドイツがアメリカやイギリスの主力をひきつけているこの隙に、軍事的な空白化している太平洋の西洋植民地をみな機敏に盗み取ってしまおう、という火事場泥棒の焦慮に駆られて、日本は太平洋戦争に突入してゆく。 なにしろオランダ人やフランス人が太平洋に放り出していったものを他人にとられないうちに掠め取りた一心だったので、うまいこと掠めたあとには、これといってやることも思いつかずに、オーストラリアを占領すればどうか、いや、いまこそ北のロシアを攻め取ればどうか、と述べているうちに、まだ工業余力が発生するまえの弱体なアメリカ合衆国の、劣勢な太平洋艦隊にミッドウエイで大敗北を喫するという失態を演じて、茫然自失のまま、アメリカが自分達の戦時工業生産の伸長にかかる時間を計算した結果しかけたガタルカナルという罠に見事にひっかかって、まるでアメリカの本格的な軍事生産を待って足踏みするかのような無意味な消耗戦に巻き込まれてゆく。 ロシアとの二正面から次第にナチを圧倒しはじめた連合軍は、1944年になると強大な正面の敵を打ち負かす見込みがついて、ようやく余力を太平洋にまわせるようになって、インド・マレーでも、それまで戦っていたひと時代前の装備の植民地軍から正規軍を相手にすることになった日本軍はひとたまりもなく本土へ向かって押し返されてゆく。 日本ではいまだに太平洋戦争は軍部や戦争を遂行した軍閥の観点から眺められていて、「白人の人種差別に対するアジア人のための戦いだった」 「白人の反アジア人連合に追い詰められた結果の自衛戦争だった」 ということになっているようだが、前者については、ぼくは面白い経験をしていて、学生たちの討論会で、「日本の戦争は白人からのアジア人解放という面があったと思う」と述べた日本からの(なかなか勇気がある)留学生に、歩み寄って、おもいきり平手打ちをくらわせた中国人女子学生のことをおぼえている。 ぼく自身は、どうとも思っていなくて、むかしのことでもあって、 日本のひとはドイツ人と違って考え方を変えていないのだな、と思うだけで、 平手打ちをしようと思うような強い関心がないようです。 「日本のいちばん長い日」という映画を昨日はじめて観たが、自分の頭のなかに入っている「日本終戦の日」の知識と同じで齟齬がないのは、実は、その知識そのものが、この映画のもとになったノンフィクションが暴いた事実に基づいているからに過ぎないからでしょう。 阿南惟幾が切腹自殺を遂げるところで、あれ?ここで阿南陸相は「米内を切れ!」と言ったはずだがなあーと思ったり、あ、近衛連隊が御文庫を襲撃したときにあの鎧戸を閉めたのは入江相政だったのか、とびっくりしたり、その程度の細部に異同があるだけで、なんだかずっと前にいちど観たことがあるような気がする映画だった。 そういうことがあるからか、映画で印象に残ったのは、まったくくだらないことで、 登場する人物たちが、やたら絶叫し、「声を励まし」、すごみ、慟哭し、感情を叩きつけて、まるで感情に酩酊した人のように振る舞うことだった。 映画の演出としてそうなっているのかと考えて、ぶらぶらとライブリに歩いて行って、戦争期のことについて誌した本を読んでみると、どうやら現実に当時の日本人は大声をだして叫び、怒鳴ることが多かったようで、へえ、と考えた。 英語人のなかではアメリカ人とオーストラリア人は「怒鳴る」人が多いので有名であると思う。 アメリカの人もオーストラリアの人も、喧嘩になると、大声をあげてわめきたてる人が多いのは、たとえば深夜に場末のバーに行くと、実証的に目撃できます。 ウエールズ人には「大声をあげる」という悪評がついてまわっていると思うが、それでも全体としては連合王国人は大声をあげるということを忌む。 たとえばイングランド人とニュージーランド人には観察していると喧嘩に面白い特徴があって、罵りあいをするまえに、まず先に手が出てなぐる。 相手を罵るのは、相手をイッパツなぐってから、たとえば襟首をつかまえて、低い声で「もういちど言ってみろ。この次は歯が折れるだけではすまないぞ」と述べるというふうに展開する。 むかしオーストラリアのボンダイビーチの深夜のバーで、自分のまわりにいた一団のひとびとが喧嘩をはじめて、おお、すげーと考えて眺めていたが、なんだか大声で「てめえ、ぶち殺すぞ」「殴られてえのか」と罵りはじめたので、なはは、子供の喧嘩みたい、かわいい、と思って笑ってしまったことがあった。 … Continue reading

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灰色の影のはなし

榎本がバッティングセンターに来ていた、という話があってね、 と、そのひとは話し始めたのだった。 外国人で、しかもベースボールのルールも知らない人間が多い国から来たワカモノに話しているのだから、そもそも「榎本喜八」なる人がどんな人なのか説明してから話し出すのが普通だとおもうが、そういうことにいっさい頓着しないのが、この人の面白いところです。 夜中に仕事が終わって、今日は大残業だったけど、いっちょうビールでも飲んでから家に帰るか、という気分になって、どうせならおいしいビールが飲みたいので歌舞伎町でバッティングセンターに行ってからジョッキでブハァーをしに、飲みに行こうと考えた。 あのバッティングセンターはさ、と、あたかも共通の秘密基地の話をしているようにわしの顔を見るが、もちろん、わしはそんなバッティングセンターがあるのは知りません。 24時間営業じゃない? だから、いついっても開いてるし、新宿の通(つう)が集う場所なんだよね。 すっかりはりきって120kmの速球をがんがん打ちまくって、はウソで、110kmなのに空振りばっかりだったんだけどさ、 隣にね、ヘンなじーさんがいて、これがすごくすごくヘンなのね。 こう、なんていうかなあー、すうううっと、かるうううく、ゆううっくりバットを振っているだけなのに、ボールがバットにあたると、なんだかものすごいスピードで飛んでいくんだよ。 「弾丸ライナー!」なんて言葉があるんだけどね。 その弾丸ライナーなんだ。 フトシちゃんがんばってぇー、なんちゃって。 ここからが、怖いんだよ、ガメ。 その、ものすごいスピードで飛んで行く軟球…あっ、軟球って、わかるかい? 日本人が発明した固いゴムまりなんだけど、..おお、きみはほんとに、なんでも不気味なくらい知っているやつだな、 ともかく、そのボールが、 全部ネットにしつらえてある的(まと)にあたるんだよ。 あれ、そうだなー、直径20センチくらいかな。 小さなターゲット、そう、あの安売り屋のターゲットと同じデザインの、クラシックな、多重丸のターゲット、 あれのまんまんなかに全部あたる。 あのバッティングセンターは、的にあたると1ゲームただになるシステムでさ、ファンファーレが鳴るんだけど、 その隣のケージの怪人が打ち出したらファンファーレが鳴りっぱなしで、 他のひと、打つのも忘れて、なんだあれは、で、ボーゼンとしちゃってさ。 すごかった。 おれはなんだか、ほら、あの元華族のばーちゃんの口まねをすると 「ぶっくらこいちまって」ジッと観てたら… 思い出したんだよ、顔を。 榎本だっ! ミサイルトリオの榎本喜八だ!って。 榎本喜八ってのはね、ガメ。 すげえ打者でさ。 おれは7歳か8歳だったんじゃないかなー。 大毎オリオンズ、 いまの千葉ロッテマリーンズっていうチームなんだけど、 本拠地が東京球場って、スラムのまんなかにあって、売春婦たちがたむろしている通りを抜けていく、きったない球場でさ、 両翼は90mってんだけど、ぜんぜんインチキで、多分、70メートルぐらいだった。 父親につれられていくと、ナイターなんかこわくてこわくて、必死に父親の手をにぎりしめて、寝っ転がったまま、なぜか往来のまんなかでズボンはいたまま小便を垂れ流してるおっさんとかをこわごわ横目に見ながら試合を観にいったものだった。 榎本が出てくると、球場が道場みたいになって、畏まった雰囲気になっちゃうんだよ。 おとなになってから、ニューヨーク支社でヤンキースの試合とか観に行くと、 … Continue reading

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どうでもいい日乗

  1 韓国式フライドチキンというものをいちど食べてみたいと念願していた。 ドキュメンタリがあるくらいで、韓国では、会社をクビになる人の多さを背景に、人口あたりのフライドチキン店の数が世界でいちばん多いのだという。 ニュージーランドはもともと韓国系移民のプレゼンスがおおきい国で、韓国社会でのフライドチキン店ブームを反映して、オークランドにもいくつか「韓国式フライドチキン」の店が出来ている。 オークランドに住んでいる人のために述べると、例えば、ニューマーケットの駅前のバス停の前に一軒新しい店が出来ています。 チャンスが来た。 オペラを観にやってきたAotea Centreのフードモールに韓国式フライドチキン店があったからです。 おいしそーかなーとテーブルに座ってマンゴーラシを飲みながらチラ見する、わし。モニが、「ガメ、勇気をだして一個買ってくればいいではないか」と激励しておる。 ところが! 厨房でフライドチキンをトレイから一個落っことしたおばちゃんが床から拾いあげたフライドチキンをトレイに戻した! がびーん。 がびーんがびーんがびーん。 おばちゃん、わし、注文できひんやん。 床からもどしちゃ、ダメじゃん。 内田百閒のエッセイに東京駅精養軒の「ボイ」が、注文したリンゴを床に落っことして、そのまま皿にもどして百鬼園先生のテーブルに持ってきたのを見て激怒するところがある。 日本文学のベスト50に入る名場面です。 先生は「せめて、いったん厨房にもどって皿にもどすくらいのレストランとしての誠意を見せろ」と文中、激怒している。 それがウエイタの職業的誠意というものではないのか。 なにくわぬ顔でトレイに戻したフライドチキンを陳列する韓国おばちゃんの顔をみながら、わしは、百閒先生のことを思い出していた。 なんという懐かしい感じがする人だろう。 2 最近ツイッタを介して少しずつ顔見知りになってきた「いまなかだいすけ」が、「辞表だして御堂筋を歩いたとき、嬉しさがこみあげてきた」と書いている。 https://twitter.com/cienowa_otto/status/726251061363625985 ツイッタでは、もっと控えめに反応したが、あれはunderstatementで、現実のわしは、このツイートを読んで涙が止まらなかった。 どんな社会にもいる「自分がボロボロになるまで踏み止まって頑張り続けるひと」の真情が伝わってきたからです。 どこでもドアを開けて、いまなかだいすけがいる大阪に行って、手をとって、 「がんばったね、がんばったね」と言いたかった。 もとより、わしは「頑張ってはいけない」と言い続けていて、社会をよくするためには絶対に頑張ったりするべきでないし、頑張ってしまっては例の「自分という親友」を裏切ることにしかならないが、それと「頑張ってしまう人」への抑えがたいシンパシーとは別である。 自分でも、うまく説明できないが、わしは「頑張ってしまう」人がいつも好きである。 なぜか? それが説明できれば、こんなふうに日本語を書いていない気がする。理由がわからないが、理由がわからなくてもいいことにしてあることのひとつ。 自分の、最もやわらかいところにある、なにか。     3 日本の社会の個人への残酷さを許してはいけない、とおもう。 日本人は偏差値が高い大学を出た人間が当然のように「目下」の人間をみくだすような幼稚な社会習慣をこれ以上もちこしてはならない。 それは人間性に対する冒涜だからですよ。 … Continue reading

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生活防衛講座その3

1 時間給 朝7時に起きて夜9時に仕事から家に帰り着く人が一日あたり2万円もらっているとすると、このひとの時給は20000÷14で1428円である。 会社の側の理屈では労働時間が7時間なのだから、あとは通勤時間他で時給は2850円ではないか、というだろうが、それは企業の側の理屈なので知ったこっちゃない。 働くほうから見れば、あくまで1428円です。 初心のうちは、自分の労働の価値を社会の側がどのくらい評価しているか知るために時間給を基準にしてオカネという社会の究極の批評尺度をあてはめてみるのは良いことだと思われる。 凍死家などは時間給が1000万円を越える、というひとは普通にいます。 もっとも凍死家は時間給がマイナス1000万円を越える人も普通なので、時間給という尺度は「オカネが天井から降ってくる」場合にのみ有効であることがわかる。 而して、ひとは時間給のみによって生きるものには非ず。 医学の基礎を勉強しただけで、こんなグチャグチャな不気味な学問やれるかい、と考えて、むかないものはむかないので職業として医学に進むのはやめてしまったが、一方、数学のほうは稲妻のようなカッコイイ才能がなくて、これも飽きて、やむをえないので賭博師になろうと思ったが、全然関係のない工学系の発明でラットレースから出ることになった。 おにーちゃん、まさか家業をついで楽しようというんじゃないでしょーね、という妹の白眼視がそこで終熄したが、それとこの記事とは関係がない。 数学が自分の頭に向いている人間は朝起きた瞬間から数学のことを考えはじめて、自転車で学寮に向かうときも数学を考えていて、学内では、うっかり芝生を横切って、件のクソジジイに、「きみはこの庭の芝を横切る権利はないだろーが」と怒られたりして、時間給は計算してみると200円だったりすると思うが、 これはそういう病気なので、観点を変えれば大学は阿片窟のようなもので、目をうつろにして数式を虚空に描く学問依存症患者達がはびこっていて、それでも大学の外に放し飼いになると社会が危地の陥るというような理由で、多額の企業または国家のオカネを濫費して収容しているだけなので、そもそも給料をもらえるほうが間違っている、という考えもある。 ぼく自身は時間給時代は、ひどく短くて、芸能プロダクションが店の近くにあるせいで、やたら綺麗なねーちゃんが日がな一日うろうろしているのに眼がくらんで、カフェのウエイターをやって二週間でクビになった。 だから時間給についてエラソーに云々するわけにはいかないが、冒頭の数え方で1500円をくだるような時間給で働くのは文字通りの「時間給のムダ」で奨められない。 どうしてもマクドナルドでバイトをするしかないのなら、物価が途方もなく高いとは言っても、いまや時間給一時間3000円の域に達すると噂されるノルウェーでマクドバイトをやったほうがいいと思われる。 たしか去年からノルウェーもワーキングホリデービザに参加しているので30歳以下なら誰でも働ける。 えー、でもノルウェーのマクドもやっぱりただのマクドだから、という人がいそうだが、そういうのを「机上の悲観論」という。 想像力をもってみよ。 たしかに同じようにマクドで、床に落っことしたパテを素早く拾って焼いたりするバイトだが、きみが女ないしゲイであると仮定すると、横をみれば同僚のにーちゃんは、北欧的にジェンダー平等の観念が発達していて固そうな尻がつんと上を向いていて、ちょっとやさしくすれば週末は…(←これだから二週間でクビになる) えー、おほん。 つまり、時間給を数えて働くのは時間給で測ることに意味がない収入にたどりつくためで、自分の収入が時間給という概念になじまなくなったときには、たいていの人間はラットレースからぬけだしている。 時間給という尺度の生産的な利用法は、そーゆーものであるよーです。 2 年収400万以下 約束の年収別サバイバルプランだが、年収400万円以下は、なにも考えずに外国へ移動するのがよいと思われる。 たった4万ドルできみを使えると思っているところが、もうきみのその会社なり業界なりでのきみへの評価 「安くこきつかえるじゃんw」が端的にあらわれている。 社長はきみに期待している。 同僚もきみを頼りにしている。 しこうして年収は400万円にとどかない。 そういう暮らしを10年もつづけるとどうなるかというと、心のなかに窠(す)がはいって、やがてその黒みはきみの魂に及んでしまい、 妙にうらみがましい性格になったり、「世の中は汚い」 「社長は口ばっかりで、おためごかしの嫌な奴だ」 「こんな会社に将来なんてない」 というような語彙と表現が頭のなかでぐるぐるしだす。 しかも、そんなこんなで、上目遣いに世の中を見ているうちに40歳になってしまったりする。 それではもう遅すぎる、ということはないが、20代のときの5倍くらいの跳躍力を要するので、やや「世の中バカなのよ」(←回文)というブラックホールにのまれつつある天体のようなものである。 ビンボである、というのは常に一面ではよいことで、全財産売り払ってしまえばポケットにはいって、航空券とワーキングホリデービザスタンプが押してあるだけのパスポートをもって、エコノミークラスのシートに身を沈めれば、それだけで新しい人生がはじまってしまう。 人間の一生で、これほどの贅沢な瞬間はないとも言えて、世界中の、どんな富豪ジジイもうらやましがるだろう。 オカネを稼ぐ目的のひとつはオカネで買えない豪奢にひたることだが、 その初めのひとつは冒険の書の第1ページを開くことであると思う。 3 年収400万〜600万 … Continue reading

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