「日本のいちばん長い日」を観た

もう誰だか忘れてしまったが終戦からしばらくした日の夜更けに偶然お堀端で米内光政にでくわした人が書いた文章を読んだことがある。
この聴き取りにくいほど東北訛りのつよい、最初から最後までアメリカとイギリスを敵にする戦争をやって勝てるわけがないと主張して、開戦の前も終戦のときも、内閣に席をしめていた海軍大将は、かすりで、暗闇のなかで、たったひとり、お堀端の草地に吹上御所のほうを向いて正座して、号泣していたのだそうでした。
あまりの異様な光景に米内光政を見知っていたこのひとが声をかけられないでいると、そのうちに、元海軍大将は、「陛下、申し訳ありませんでした、陛下、米内をおゆるし下さい」と言いながら、その場でくずれおちるように地に伏してしまった。

このブログ記事でずっと見てきたとおり、戦後の日本マスメディアの太平洋戦争観は美化されすぎていて、とてもではないが、まともに相手に出来るものではない。
ツイッタでも「特攻などは、ただの犬死にで、そこには美しさなどかけらもない」と書くと、長くフランスに住んでいる日本人の女のひとが「国を思って身を捧げた特攻隊員の気持ちを『ただの犬死に』だなんて許せない」と言ってくる。
だが当時の「特攻隊員」が戦後になって残した証言は、たくさん残っていて、名のあるひとならば城山三郎のような作家から西村晃のような俳優がいる。
あるいは、なぜか同じ人であるのに日本のマスメディアのインタビューに対しているときよりは遙かに率直明瞭に証言を述べているBBCやPBSに出てくる無数の元「戦士」たちは、異口同音に、「志願制」のからくり、特攻強制のために故郷に残された家族を人質にとってしまう日本社会の残酷さ、ある場合には、このひとは本人が中国戦線以来の歴戦のパイロットで、軍隊のなかで一目も二目もおかれる立場で、上官といえども、星の数よりメンコの数、無暗に居丈高になれる相手ではなかったからだろうが、日本社会の文化慣習からおおきく外れた行動をとったひともいて、
「自分は通常の急降下爆撃のほうがおおきな戦果をあげる自信がある。
出撃して艦船を沈められなかったら、そのときは殺してくれ」と上官に直訴しても退けられ、ではせめて敵がみつからなかったら帰投することを認めてくれ、と述べると、
それも許されない、死ぬ事が最も肝要なので、そうまで言うなら爆弾はボルト止めすることにする、と告げられた飛行隊長もいた。
爆弾をボルト止めする、というのは着陸しようとすれば爆弾が爆発して間違いなく死ぬということを意味しています。

むかし、ロンドンのカシノで会ったアメリカじーちゃんに、じーちゃんが目撃した彗星艦爆パイロットの話
https://leftlane.xyz/2017/11/11/judy/

を聞いたときには、いまひとつピンと来なかった自爆の理由が、いくつかのドキュメンタリを観て判った。
たとえ生還しても銃殺かボルト止めした爆弾を抱えた再度の特攻出撃命令が待っているだけで、それほどの屈辱的な死を選ぶより、自分が戦場として数年間を戦った海で死んだほうがよい、と考えたのでしょう。
「帰ってくるな」と言われた屈辱を、あの人は思いきり海に自分の生命を叩きつけることで表現したのであるに違いない。

ありとあらゆる人間性の弱点に不思議に通じていたナチはヨーロッパでは擡頭期から、ここという内政・外交の切所にさしかかると「美しい女を抱かせる」のを常套手段としたが、日本の、しかも一般世界から隔離されて生活してきた日本の軍人武官のようなナイーブさではひとたまりもなくて、当初はドイツをバカにしきっていた海軍軍人たちも、「親独派」に変わっていった。
イギリスには、ドイツにおけるのと同じもてなしを期待した日本の軍人が、「わたしのご婦人のほうはどなたに世話していただけるのでしょうか?」と訊いて、にべもなく、世話をする担当将校に
「われわれの国では、ご婦人と同衾するためには、その前に『恋愛』が必要なので、ご面倒でも、そこから始めていただかなければなりません」と言われたという話が残っている。
日本側には、これと同じ話が親日本的なドイツ人と較べてイギリス人の度しがたい人種差別の証拠として伝わっていたそうです。

最も決定的だったのは、最大の陸軍国、軍事的巨人とみなされていたフランスが、あっけなくドイツの機甲師団群に敗北して、インドシナが空白になったことで、当時の標語でいえば「バスに乗り遅れるな」、ドイツがアメリカやイギリスの主力をひきつけているこの隙に、軍事的な空白化している太平洋の西洋植民地をみな機敏に盗み取ってしまおう、という火事場泥棒の焦慮に駆られて、日本は太平洋戦争に突入してゆく。
なにしろオランダ人やフランス人が太平洋に放り出していったものを他人にとられないうちに掠め取りた一心だったので、うまいこと掠めたあとには、これといってやることも思いつかずに、オーストラリアを占領すればどうか、いや、いまこそ北のロシアを攻め取ればどうか、と述べているうちに、まだ工業余力が発生するまえの弱体なアメリカ合衆国の、劣勢な太平洋艦隊にミッドウエイで大敗北を喫するという失態を演じて、茫然自失のまま、アメリカが自分達の戦時工業生産の伸長にかかる時間を計算した結果しかけたガタルカナルという罠に見事にひっかかって、まるでアメリカの本格的な軍事生産を待って足踏みするかのような無意味な消耗戦に巻き込まれてゆく。
ロシアとの二正面から次第にナチを圧倒しはじめた連合軍は、1944年になると強大な正面の敵を打ち負かす見込みがついて、ようやく余力を太平洋にまわせるようになって、インド・マレーでも、それまで戦っていたひと時代前の装備の植民地軍から正規軍を相手にすることになった日本軍はひとたまりもなく本土へ向かって押し返されてゆく。

日本ではいまだに太平洋戦争は軍部や戦争を遂行した軍閥の観点から眺められていて、「白人の人種差別に対するアジア人のための戦いだった」
「白人の反アジア人連合に追い詰められた結果の自衛戦争だった」
ということになっているようだが、前者については、ぼくは面白い経験をしていて、学生たちの討論会で、「日本の戦争は白人からのアジア人解放という面があったと思う」と述べた日本からの(なかなか勇気がある)留学生に、歩み寄って、おもいきり平手打ちをくらわせた中国人女子学生のことをおぼえている。
ぼく自身は、どうとも思っていなくて、むかしのことでもあって、
日本のひとはドイツ人と違って考え方を変えていないのだな、と思うだけで、
平手打ちをしようと思うような強い関心がないようです。

「日本のいちばん長い日」という映画を昨日はじめて観たが、自分の頭のなかに入っている「日本終戦の日」の知識と同じで齟齬がないのは、実は、その知識そのものが、この映画のもとになったノンフィクションが暴いた事実に基づいているからに過ぎないからでしょう。

阿南惟幾が切腹自殺を遂げるところで、あれ?ここで阿南陸相は「米内を切れ!」と言ったはずだがなあーと思ったり、あ、近衛連隊が御文庫を襲撃したときにあの鎧戸を閉めたのは入江相政だったのか、とびっくりしたり、その程度の細部に異同があるだけで、なんだかずっと前にいちど観たことがあるような気がする映画だった。

そういうことがあるからか、映画で印象に残ったのは、まったくくだらないことで、
登場する人物たちが、やたら絶叫し、「声を励まし」、すごみ、慟哭し、感情を叩きつけて、まるで感情に酩酊した人のように振る舞うことだった。
映画の演出としてそうなっているのかと考えて、ぶらぶらとライブリに歩いて行って、戦争期のことについて誌した本を読んでみると、どうやら現実に当時の日本人は大声をだして叫び、怒鳴ることが多かったようで、へえ、と考えた。

英語人のなかではアメリカ人とオーストラリア人は「怒鳴る」人が多いので有名であると思う。
アメリカの人もオーストラリアの人も、喧嘩になると、大声をあげてわめきたてる人が多いのは、たとえば深夜に場末のバーに行くと、実証的に目撃できます。
ウエールズ人には「大声をあげる」という悪評がついてまわっていると思うが、それでも全体としては連合王国人は大声をあげるということを忌む。
たとえばイングランド人とニュージーランド人には観察していると喧嘩に面白い特徴があって、罵りあいをするまえに、まず先に手が出てなぐる。
相手を罵るのは、相手をイッパツなぐってから、たとえば襟首をつかまえて、低い声で「もういちど言ってみろ。この次は歯が折れるだけではすまないぞ」と述べるというふうに展開する。
むかしオーストラリアのボンダイビーチの深夜のバーで、自分のまわりにいた一団のひとびとが喧嘩をはじめて、おお、すげーと考えて眺めていたが、なんだか大声で「てめえ、ぶち殺すぞ」「殴られてえのか」と罵りはじめたので、なはは、子供の喧嘩みたい、かわいい、と思って笑ってしまったことがあった。
一緒にいた友達が、「夫婦喧嘩みたいなことをやってないで、さっさと殴りにいかんかいw」と言って冷やかしていたが、オーストラリア人は変わっておるな、と考えた。

ぼくは柄がわるい通りが好きなので、ろくでもないバーによくでかけたが、ダラスでもアトランタでも同じようなことがあって、だいたいその頃に「アメリカ人やオーストラリア人は喚くのが好きである」という偏見ができたもののよーです。

しかし「日本のいちばん長い日」に出てくる青年将校たちは、それどころではなくて、会話という会話がすべて絶叫でできている。
天皇と重臣が自分達の希望する本土決戦を肯んじないとみるや、ひとりの将校などは幼児のように声を放って泣き崩れる。

「日本のいちばん長い日」には、旧日本帝国陸軍の特徴である上官を恫喝する軍紀の弛緩、軍隊としての規律のなさ、命令不服従の悪習、がすべてみてとれる。
南京での虐殺・集団強姦、シンガポールでの中国系商人の虐殺、インドネシアでの女のオランダ人たちに対する誘拐と集団強姦、香港での病院襲撃とイギリス人看護婦たちの集団強姦、というようなことは日本では「そんなことはなかった」あるいは「戦争なのだからあたりまえで仕方がない」ということになっていて、そういうものの見方をする人間と議論をする余地はあるわけはないので議論をするつもりはないが、しかし「北京の55日」での日本軍の粛正な軍紀を考えれば、歴史家たちが誌している「二二六事件後の日本軍の頽廃」という意見にも耳を傾けないわけにはいかないだろう。

映画にも出てくるように7月26日にポツダム宣言を受信した日本の政府の反応は「まあ、まずなにもせずに待とう」だった。
何もしないが、何も発表しないのは「政府が動揺しているようにとられて、まずい」から、「あたらずさわらず」新聞各社に「調子をさげて」取り扱うように指導し、公式声明はださずに、政府はこの宣言を「無視するらしい」と報道しても差し支えはない、と新聞各社にほのめかす。
政府の指示をていした新聞は、ポツダム宣言をかるく、軽侮して取扱い、「笑止」という言葉で伝える。
明確な反対ではないのか、という前線からの軍隊の問い合わせに動揺した陸軍本部は、政府を動かして記者会見を開く、そこで「ポツダム宣言を重要視しない」と繰り返す鈴木貫太郎首相から、やがて「答える必要を認めない」という言葉をひきだした新聞記者は「帝国、ポツダム宣言を『黙殺』」と書き立てる。

黙殺は英語では「ignore」なので英語圏の新聞は、
「Japan Ignores Surrender Bid」というヘッドラインで書き立て、日本政府のポツダム宣言拒絶の意志にショックをうけた連合軍は、(当時の戦争指導部の信念によれば)残された戦争早期終結のゆいいつの手段である原子爆弾を広島と長崎に投下する。

8月8日にロシアが満州侵攻を開始したあと、(驚くべき鈍感さだが)日本がゆいいつ信頼できる国と信じていたロシアの宣戦布告に驚いて、日本は茫然自失、どうすればよいかわからなくなってしまう。
ノモンハンで思い切り顔をなぐりつけて、ロシアを破滅の淵にまで運んだヒトラーと同盟していたことを忘れてしまう都合の良さが日本政府のいまにいたる伝統的な持ち味と言えなくもない。

毎日会議がひらかれ、毎日意見が割れて、こういうところが面白いところだが「ここまで来てしまっては相手の意見をのむしかない」という海軍と文民大臣たちと「相手の意見は正しくない」と激烈に主張して一歩もひかない陸軍とのあいだで、論議がつづいてゆく。
正しいか正しくないかということと、そうすべきかいなかという異なる平面のことが、ちゃんと同じ議論にのぼせられるところが日本語というものの醍醐味だが、
正しくなくても、現実の問題処理にはこれしかないんじゃない?という理屈は通らないのは日本語議論の特徴で、ここで本土決戦を叫ぶ軍人たちは、いまの年金制度を維持していると国が倒産する、という人々に対して、年金がなくなるのは正しくない、と激昂するひとびとと軌を一にしているとも言える。

今度は「subject to」の解釈をめぐって紛糾して、いつまでたってもポツダム宣言を受諾するかどうか決められないでいるうちに、戦争をやめたくない近衛師団の青年将校たちは天皇を奪取して、終戦を阻もうとする。
有名な成り行きによって「聖断」が下ったあと、ここもまた楽しませる、というか、もっと早く放送されるはずだった玉音放送が15日にまでずれこむのは、ここは字句がまちがってる、ここに脱字があるといって原稿の清書に時間がかかるからである。
チョー日本ぽい。

青年将校たちのお互いに対して喚き散らす言葉には、「おまえの純粋さは買う」
「日本という美しい国をおもえ」というような情緒だけで中身がなにもない無責任な人間が愛好しそうな語彙に満ちていて、静かに語る文明を身につけた重臣たちは何も決断できないとう構図は、実は共和制初期のローマにあったのとまるで同じ構図で、叫喚と優柔が常に文明を破壊してきた人間の歴史を思いおこさせる。

映画の結末は無論史実と同じで、官僚組織としての軍隊の性格を強くもつ東部軍が近衛歩兵連隊を粛正し、放送は行われ、日本は戦争の敗北を認める。

和平をすすめる軍隊上司を「腰抜け」「生き恥さらし」「卑怯者」と呼び、師団長と和平派の将校を殺害し、一億総玉砕の国民全員戦死を主張して、このクーデター「宮城事件」を企てた
首謀者井田正孝は、戦後、広告代理店電通に入社して常務取締役になり、2004年2月6日に死ぬ。
もうひとりの首謀者竹下正彦が死んだのは1989年4月23日で、
自衛隊第4師団長、陸上自衛隊幹部学校長を歴任した。
常々「自衛隊などに入るな」と陸軍士官学校の同期生に言っていたのに、本人はさっさと自衛隊に入って出世してしまったので、皆が驚いたそうです。

04/06/2014

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灰色の影のはなし

榎本がバッティングセンターに来ていた、という話があってね、
と、そのひとは話し始めたのだった。
外国人で、しかもベースボールのルールも知らない人間が多い国から来たワカモノに話しているのだから、そもそも「榎本喜八」なる人がどんな人なのか説明してから話し出すのが普通だとおもうが、そういうことにいっさい頓着しないのが、この人の面白いところです。

夜中に仕事が終わって、今日は大残業だったけど、いっちょうビールでも飲んでから家に帰るか、という気分になって、どうせならおいしいビールが飲みたいので歌舞伎町でバッティングセンターに行ってからジョッキでブハァーをしに、飲みに行こうと考えた。

あのバッティングセンターはさ、と、あたかも共通の秘密基地の話をしているようにわしの顔を見るが、もちろん、わしはそんなバッティングセンターがあるのは知りません。

24時間営業じゃない?
だから、いついっても開いてるし、新宿の通(つう)が集う場所なんだよね。

すっかりはりきって120kmの速球をがんがん打ちまくって、はウソで、110kmなのに空振りばっかりだったんだけどさ、

隣にね、ヘンなじーさんがいて、これがすごくすごくヘンなのね。
こう、なんていうかなあー、すうううっと、かるうううく、ゆううっくりバットを振っているだけなのに、ボールがバットにあたると、なんだかものすごいスピードで飛んでいくんだよ。
「弾丸ライナー!」なんて言葉があるんだけどね。
その弾丸ライナーなんだ。
フトシちゃんがんばってぇー、なんちゃって。

ここからが、怖いんだよ、ガメ。

その、ものすごいスピードで飛んで行く軟球…あっ、軟球って、わかるかい?
日本人が発明した固いゴムまりなんだけど、..おお、きみはほんとに、なんでも不気味なくらい知っているやつだな、
ともかく、そのボールが、
全部ネットにしつらえてある的(まと)にあたるんだよ。
あれ、そうだなー、直径20センチくらいかな。
小さなターゲット、そう、あの安売り屋のターゲットと同じデザインの、クラシックな、多重丸のターゲット、
あれのまんまんなかに全部あたる。
あのバッティングセンターは、的にあたると1ゲームただになるシステムでさ、ファンファーレが鳴るんだけど、
その隣のケージの怪人が打ち出したらファンファーレが鳴りっぱなしで、
他のひと、打つのも忘れて、なんだあれは、で、ボーゼンとしちゃってさ。
すごかった。

おれはなんだか、ほら、あの元華族のばーちゃんの口まねをすると
「ぶっくらこいちまって」ジッと観てたら…

思い出したんだよ、顔を。
榎本だっ!
ミサイルトリオの榎本喜八だ!って。

榎本喜八ってのはね、ガメ。
すげえ打者でさ。
おれは7歳か8歳だったんじゃないかなー。
大毎オリオンズ、
いまの千葉ロッテマリーンズっていうチームなんだけど、
本拠地が東京球場って、スラムのまんなかにあって、売春婦たちがたむろしている通りを抜けていく、きったない球場でさ、
両翼は90mってんだけど、ぜんぜんインチキで、多分、70メートルぐらいだった。
父親につれられていくと、ナイターなんかこわくてこわくて、必死に父親の手をにぎりしめて、寝っ転がったまま、なぜか往来のまんなかでズボンはいたまま小便を垂れ流してるおっさんとかをこわごわ横目に見ながら試合を観にいったものだった。

榎本が出てくると、球場が道場みたいになって、畏まった雰囲気になっちゃうんだよ。
おとなになってから、ニューヨーク支社でヤンキースの試合とか観に行くと、
みんなのんびり駄弁ってたりして、ぜんぜん緊張感ないじゃん?
ホットドッグ食って、隣の家の犬の話とかしてやがって、こら、この野郎、アメ公、おまえらの国技なんだから、もっと気合いいれて観やがれ!
って言いたくなるんだけど、ぐっとこらえてさ、向こうのほうがガタイがでかいもんだから、いろいろ遠慮してたいへんだったよ、
おまえらのお仲間の国ってのは、どこも疲れるよな。

ところが日本人はマジメだから、違うのさ。
みんなスポーツ新聞で、榎本の求道者ぶりは知っているからね。
打ってくれ、頼むから打ってくれ、試合なんかどうでもいいから、神様、榎本にだけは打たせてやってください、って、心のなかで必死にお願いしたもんさ。

榎本は不思議なバッターでね。
毎年毎年、精進の甲斐あって、ボールがどんどん、どんどんってヘンだけれども、ますますどんどん真芯に当たるようになって、
ところがどんどん打率はさがっていくの。
なぜかって?
野球ってのは、面白いスポーツで、理想的な真芯にあたると、ボールは定位置に飛んでゆくものであるらしい。
いや、ほんとにそうみたいよ。
ほら、広岡とかいう、大企業コンプレックスみたいな、クソけったくその悪い銀縁メガネがいたじゃない、…えっ、あれ、知らないの?
最近の人じゃない。
あ、もう最近じゃないのか。
年取ると「昨日のこと」が20年前だからな。

あの管理おじさんも言ってたよ、おなじこと。
あいつの場合は口だけだろうけど。
え?
だって、たいした打者じゃねーもん。

もう本物の弾丸より速いみたいな打球がね、カアーンという乾いた音を立てて直線のライナーで飛ぶと、まるで守備の選手のグローブを狙いすましたように吸い込まれていくんだよ。

榎本が一塁まで、いつもの全力疾走で駈けて、引き返して、歩調を遅くしながら、うなだれてベンチに帰ってくると、みんなもシュンとしちゃって、しいーんとなって、胸のなかになんだかしこりが出来て、苦しいような気持ちになったものだった。

隣のケージのおやじ、
その榎本喜八だったんだ。

100球くらい打ってたかなあー。
打ち終わると、ていねいにバットケースにバットをしまって、深々とピッチングマシンに一礼すると、肩にかけて、係のにーちゃんが、にーちゃんは誰だか判っていたんだね、尊敬がこもった挨拶をするのに手を挙げて答えると、両腕を小さく折りたたんで、ぴったり脇につけて、ランニングしながら帰っていった。

おれはさ、なんでだか、ちょっとも判らないんだけど、急に、ずっと忘れてた父親のことを思い出して、とーさんごめん、大学まで一生懸命働いて出してくれたのに、おれはバカだからヘルメットかぶって暴れてばかりいて、世界同時革命や永久革命ばっかりで、さんざん心配させて、おれ、あのあととうさんがよく話してくれた会社にはいって、とうさんがよくビール飲みながら、こんなふうな家がいい、っていう家庭をつくったんだよ。
あー、かっこわるい、こういう感情。
ド演歌だよな。
団塊のこわさを見たか!なんちゃって

とうさん、死んじゃったから知らないけどさ、
とうさんが死んだ夜、冬のバリケードを出て、おれ、必死で急いだんだけど、間に合わなくて、人間の死体、色が褪せて、灰色で、
子供のときにおぼえてたより、ずっと小さいチン○ンで、他人が聞いたら大笑いするだろうけど、そのときに考えたことは、とうさんは、こんなちっこいチ○チンで、せいいっぱい父親の役で番を張って頑張ってたんだなーと思ったよ。

ガメ、おまえ笑わないな、なんていいやつなんだろう。
みんな、この話すると、バカみたいにゲラゲラ笑うんだけど。

それだけなんだよ。
それから、いままで、いつもいつも、一生懸命やってるのにうまくいかなくて、例えばさ、ほら、おれの奥さんは、とてもいいやつなんだけど、おれが紅茶を飲むときに音を立ててしまうことや、食べ物を食べて自動的に舌鼓を打ったりすることが、どうしても、生理的に許せないらしい。
それで、あなたはいい人だけど、ほんとうに、わたしイナカモノと結婚してしまったわ、とテープレコーダーのようにつぶやくんだ。
おれは、そうすると、すごおおおく、辛(つら)くてさ、辛いんだけど、まさか、そんなときに辛いなんて当の愛する奥様に言うわけにいかないから、どうにか言えばいいのは判ってるんだけど、ぷいと立って、外に出ちまうんだよ。

そういうときに、いっつも、ファーストベースから、灰色の影のようになって、とぼとぼともどってくる榎本を思い出してきた。
そうすると、おれは、とうさんの子なんだ、
まだまだ頑張れるんだ、っていう気になれた。

ガメ、おれは、もう60歳すぎたよ。
おやじが死んだ年齢をすぎてしまった。

人間は、さびしいなあ。

その人は、そう脈絡のないことを述べて、お座敷の障子を開けて、川面をみやるのだけど、
横顔をみると、やっぱり目には涙がいっぱいで、
歯をくいしばって、唇をひきしめていて、
きみやぼくがよく知っている
「人間」の顔をしていた。

それでなにが、って、
ただ、それだけの話なんだけど

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どうでもいい日乗

IMG_1808

 

韓国式フライドチキンというものをいちど食べてみたいと念願していた。

ドキュメンタリがあるくらいで、韓国では、会社をクビになる人の多さを背景に、人口あたりのフライドチキン店の数が世界でいちばん多いのだという。

ニュージーランドはもともと韓国系移民のプレゼンスがおおきい国で、韓国社会でのフライドチキン店ブームを反映して、オークランドにもいくつか「韓国式フライドチキン」の店が出来ている。

オークランドに住んでいる人のために述べると、例えば、ニューマーケットの駅前のバス停の前に一軒新しい店が出来ています。

チャンスが来た。

オペラを観にやってきたAotea Centreのフードモールに韓国式フライドチキン店があったからです。

おいしそーかなーとテーブルに座ってマンゴーラシを飲みながらチラ見する、わし。モニが、「ガメ、勇気をだして一個買ってくればいいではないか」と激励しておる。

ところが!

厨房でフライドチキンをトレイから一個落っことしたおばちゃんが床から拾いあげたフライドチキンをトレイに戻した!

がびーん。

がびーんがびーんがびーん。

おばちゃん、わし、注文できひんやん。

床からもどしちゃ、ダメじゃん。

内田百閒のエッセイに東京駅精養軒の「ボイ」が、注文したリンゴを床に落っことして、そのまま皿にもどして百鬼園先生のテーブルに持ってきたのを見て激怒するところがある。

日本文学のベスト50に入る名場面です。

先生は「せめて、いったん厨房にもどって皿にもどすくらいのレストランとしての誠意を見せろ」と文中、激怒している。

それがウエイタの職業的誠意というものではないのか。

なにくわぬ顔でトレイに戻したフライドチキンを陳列する韓国おばちゃんの顔をみながら、わしは、百閒先生のことを思い出していた。

なんという懐かしい感じがする人だろう。

最近ツイッタを介して少しずつ顔見知りになってきた「いまなかだいすけ」が、「辞表だして御堂筋を歩いたとき、嬉しさがこみあげてきた」と書いている。

https://twitter.com/cienowa_otto/status/726251061363625985

ツイッタでは、もっと控えめに反応したが、あれはunderstatementで、現実のわしは、このツイートを読んで涙が止まらなかった。

どんな社会にもいる「自分がボロボロになるまで踏み止まって頑張り続けるひと」の真情が伝わってきたからです。

どこでもドアを開けて、いまなかだいすけがいる大阪に行って、手をとって、

「がんばったね、がんばったね」と言いたかった。

もとより、わしは「頑張ってはいけない」と言い続けていて、社会をよくするためには絶対に頑張ったりするべきでないし、頑張ってしまっては例の「自分という親友」を裏切ることにしかならないが、それと「頑張ってしまう人」への抑えがたいシンパシーとは別である。

自分でも、うまく説明できないが、わしは「頑張ってしまう」人がいつも好きである。

なぜか?

それが説明できれば、こんなふうに日本語を書いていない気がする。理由がわからないが、理由がわからなくてもいいことにしてあることのひとつ。

自分の、最もやわらかいところにある、なにか。

 

 

日本の社会の個人への残酷さを許してはいけない、とおもう。

日本人は偏差値が高い大学を出た人間が当然のように「目下」の人間をみくだすような幼稚な社会習慣をこれ以上もちこしてはならない。

それは人間性に対する冒涜だからですよ。

わしのところにもツイッタを通して@buveryという飛びきりのマヌケおやじトロルがやってきたことがあるが、なぜ日本の社会が、あんなオトナになりそこなったくだらないトロルを許容しているのか理解できない。

きみとぼくは同じ地面の上に立っていて、対等に話ができて、お互いの失敗を紹介して笑いあったり、苦しかったことを述べあって一緒に泣くのでなければならない。

人間が社会をなしている意味があるとすれば、それは個人が生きやすくすることで、それ以外には意味があるはずがない。

個人を幸福にしない社会なんて社会じゃないんだよ。

20世紀の為政者は「社会の繁栄を優先しろ」と言いたがったが、それは20世紀的な迷妄にしか過ぎなかった。

そんなことは社会が繁栄を享受するためにも不必要なことだった。

日本の社会が20世紀を出て21世紀の社会に移動するのは、いつのことだろう?

30/04/2016

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生活防衛講座その3

1 時間給

朝7時に起きて夜9時に仕事から家に帰り着く人が一日あたり2万円もらっているとすると、このひとの時給は20000÷14で1428円である。
会社の側の理屈では労働時間が7時間なのだから、あとは通勤時間他で時給は2850円ではないか、というだろうが、それは企業の側の理屈なので知ったこっちゃない。
働くほうから見れば、あくまで1428円です。

初心のうちは、自分の労働の価値を社会の側がどのくらい評価しているか知るために時間給を基準にしてオカネという社会の究極の批評尺度をあてはめてみるのは良いことだと思われる。

凍死家などは時間給が1000万円を越える、というひとは普通にいます。
もっとも凍死家は時間給がマイナス1000万円を越える人も普通なので、時間給という尺度は「オカネが天井から降ってくる」場合にのみ有効であることがわかる。

而して、ひとは時間給のみによって生きるものには非ず。

医学の基礎を勉強しただけで、こんなグチャグチャな不気味な学問やれるかい、と考えて、むかないものはむかないので職業として医学に進むのはやめてしまったが、一方、数学のほうは稲妻のようなカッコイイ才能がなくて、これも飽きて、やむをえないので賭博師になろうと思ったが、全然関係のない工学系の発明でラットレースから出ることになった。
おにーちゃん、まさか家業をついで楽しようというんじゃないでしょーね、という妹の白眼視がそこで終熄したが、それとこの記事とは関係がない。

数学が自分の頭に向いている人間は朝起きた瞬間から数学のことを考えはじめて、自転車で学寮に向かうときも数学を考えていて、学内では、うっかり芝生を横切って、件のクソジジイに、「きみはこの庭の芝を横切る権利はないだろーが」と怒られたりして、時間給は計算してみると200円だったりすると思うが、
これはそういう病気なので、観点を変えれば大学は阿片窟のようなもので、目をうつろにして数式を虚空に描く学問依存症患者達がはびこっていて、それでも大学の外に放し飼いになると社会が危地の陥るというような理由で、多額の企業または国家のオカネを濫費して収容しているだけなので、そもそも給料をもらえるほうが間違っている、という考えもある。

ぼく自身は時間給時代は、ひどく短くて、芸能プロダクションが店の近くにあるせいで、やたら綺麗なねーちゃんが日がな一日うろうろしているのに眼がくらんで、カフェのウエイターをやって二週間でクビになった。

だから時間給についてエラソーに云々するわけにはいかないが、冒頭の数え方で1500円をくだるような時間給で働くのは文字通りの「時間給のムダ」で奨められない。
どうしてもマクドナルドでバイトをするしかないのなら、物価が途方もなく高いとは言っても、いまや時間給一時間3000円の域に達すると噂されるノルウェーでマクドバイトをやったほうがいいと思われる。
たしか去年からノルウェーもワーキングホリデービザに参加しているので30歳以下なら誰でも働ける。

えー、でもノルウェーのマクドもやっぱりただのマクドだから、という人がいそうだが、そういうのを「机上の悲観論」という。
想像力をもってみよ。
たしかに同じようにマクドで、床に落っことしたパテを素早く拾って焼いたりするバイトだが、きみが女ないしゲイであると仮定すると、横をみれば同僚のにーちゃんは、北欧的にジェンダー平等の観念が発達していて固そうな尻がつんと上を向いていて、ちょっとやさしくすれば週末は…(←これだから二週間でクビになる)

えー、おほん。
つまり、時間給を数えて働くのは時間給で測ることに意味がない収入にたどりつくためで、自分の収入が時間給という概念になじまなくなったときには、たいていの人間はラットレースからぬけだしている。
時間給という尺度の生産的な利用法は、そーゆーものであるよーです。

2 年収400万以下

約束の年収別サバイバルプランだが、年収400万円以下は、なにも考えずに外国へ移動するのがよいと思われる。
たった4万ドルできみを使えると思っているところが、もうきみのその会社なり業界なりでのきみへの評価 「安くこきつかえるじゃんw」が端的にあらわれている。

社長はきみに期待している。
同僚もきみを頼りにしている。
しこうして年収は400万円にとどかない。

そういう暮らしを10年もつづけるとどうなるかというと、心のなかに窠(す)がはいって、やがてその黒みはきみの魂に及んでしまい、
妙にうらみがましい性格になったり、「世の中は汚い」
「社長は口ばっかりで、おためごかしの嫌な奴だ」
「こんな会社に将来なんてない」
というような語彙と表現が頭のなかでぐるぐるしだす。
しかも、そんなこんなで、上目遣いに世の中を見ているうちに40歳になってしまったりする。

それではもう遅すぎる、ということはないが、20代のときの5倍くらいの跳躍力を要するので、やや「世の中バカなのよ」(←回文)というブラックホールにのまれつつある天体のようなものである。

ビンボである、というのは常に一面ではよいことで、全財産売り払ってしまえばポケットにはいって、航空券とワーキングホリデービザスタンプが押してあるだけのパスポートをもって、エコノミークラスのシートに身を沈めれば、それだけで新しい人生がはじまってしまう。
人間の一生で、これほどの贅沢な瞬間はないとも言えて、世界中の、どんな富豪ジジイもうらやましがるだろう。
オカネを稼ぐ目的のひとつはオカネで買えない豪奢にひたることだが、
その初めのひとつは冒険の書の第1ページを開くことであると思う。

3 年収400万〜600万

貯金をする通貨を選ぶ、ということは大事なことで、アイスランドで金融危機が「庶民」に直截影響を与えたのは、たとえばホームローンを組むときにコンピュータのスクリーンを見せて、
「円で組みますか?アメリカドルで組みますか?それともポンド?」というふうにやっていたからで、円のところをみると、年利がドヒャッ1.5%とかなので、円でホームローンを組んだ人が多かった。
為替リスクの説明は法律で義務づけられているので、きちんと説明されてはいたはずだが、ふつーの「庶民」たるもの、そんな難しいことを説明されてもわからないので、まあ、ダイジョブだろ、と思って円にしてみたら全然ダイジョブでなかった。

よく市場がちょっと波立つと「世界の投資家が安全通貨と目される円に向かってなだれこみ…」という解説があって、日本の人は、おおおお、やっぱりわしらって信用あるのね、つおい、と思うようだが、それは誤解で、
ここで「安全通貨」というのは一週間の範囲でおおきく動かない通貨で、ここで述べられる「投資家」はオカネを借り集めて毎月利益をあげるのが義務のヘッジファンドみたいな「投資をビジネスとしている」機関なので、「次の動きが見えるまでリスクを避ける待避港」みたいなものだと思ってよい。

言葉を変えれば「枯れた市場」で突拍子も無いことが一夜で起きたりしない安心感があるかわり面白いことは何もない。

つまり利益も生じない。

残念ながら、加工貿易に依存する産業体質の古さもあるが、なにしろ
「人口が減っている」
「人口が老化している」という、市場凋落の二大絶対要素を抱え込んでいるのに、肝腎のこのふたつの要因への解決策は放ったらかしで、アベノミクスで復活だ!とか、産業世界を知らないもの特有なご託を並べて、
なるべく楽に気分だけで経済を復活させようと思う人がうじゃうじゃいる日本のような市場がまともな将来をもっているわけがないことくらい、相当アマチュアな凍死家でも知っている。

日本の市場はいまや沼沢の上に建設された楼閣のようなもので、いかに壮麗な建物をたてても、地盤が、問題がくすぶりつづけた揚げ句腐敗して、メタン沼沢の泥濘と化してしまっているので、傾いて倒れるか、アッシャーの家のごとく、振り返ってみると、ずぶずぶと沈んでいるか、どちらかの可能性しかない。
一喜一憂が、やがて一喜二憂、一喜三憂に変わって、自分が強いつもりで負けがこみだしたひとの常で、やがては負けても勝ったと言い募り、負け続けて破滅が迫っても「もうひと勝負」と言い出して、どんどん事態は悪くなってゆくだけであろうと思う。

国内にいながら決定的な破滅をやり過ごす方法は個人にとってはおおきく分けてふたつあって、ひとつは金(きん)を買うことで、もうひとつは通貨を買うことです。

金を買うのは、当面現金化しなくてもよい見通しがある場合で、金は意外なくらい主に脆弱な財政基盤の国家の売買によって下落したりもするが、長期的には右肩あがりで、違う言い方をすると「暴落したときに売らないで済む」のなら、常に良いリスクヘッジ商品です。

凍死家にとっては常識でも、あんまり普通の人が知らないことを述べておくと、通常の銀行/投資企業は金の買い取りを拒否することが出来る。
ところが、ほんとうはあんまりブログのようなところで書いていいことではないが、どの国にも買い取りを拒否できない会社が指定されていて、日本では田中貴金属という会社がこれにあたる。
日本の蓄財家が田中貴金属の100gインゴットばかり買うのは、要するにそういう理由で、その先はモゴモゴ言ったほうがよいが、金を買うなら、考えた方がよいことであるよーだ。

もうひとつの通貨のほうはレバレッジをかけるとFXそのものになってしまうが、防衛的に利用することも出来て、その場合は、自信がなければ基軸通貨にするのがよい。
中国人たちがUSドルばかり買いあさるのは、USドルが基軸通貨とみなせるからで、円がUSドルと同じ思想に立った通貨政策をとることのアホらしさはここにもあるが、いまは個人の防衛策を考えているので、そんなことを言っても仕方がない。

ユーロの挑戦を退けて、世界基軸通貨のディフェンディングチャンピオンとなったUSドルは、マイナーカレンシーのオーストラリアドルやニュージーランドドルとは本質的に異なる資産なので、収入のいくらかを分けてUSドルで積み立てておくのは悪い考えではないとおもわれる。

年収400万〜600万というところにいる所帯は、伝統的な蓄財法が最も有効な収入レベルで、他にもたくさん方法があるが、そっちのほうは商売のファイナンシャルアドバイザーに任せるとして、この記事のほうは締めくくりにヘンなことを書いておく。

「スーツを着て歩く人間はジーンズをはいて歩く人間よりもムダなカネを使う」というのは、いまでもほんとうで、公園の芝生や階段に腰掛けて、豚まんにかじりついてお昼ご飯にできるジーンズの人はスーツでランチタイムの居酒屋に向かうサラリーマンよりも、やはり生活コストが安い。

えー、でも、おれ背広で階段に座るよ、という人もいるが、ライフスタイルの本質的な違いは、そういうものではなくて、電車で通うところを自転車を好み、会社帰りの一杯もサドルにまたがって酒屋の店先でチビ缶を飲み干す人では随分余計なオカネの使い方が違うようです。

それはつまり、もともと「大卒の人間が企業に入って働いた場合、小さい家を借金して買ってやっと暮らせる」ようにデザインされた現代社会の、そのデザインにどの程度乗るか、ということで、近代のデザインから遠ざかれば、それだけラットレースの仕組みから遠くなってゆく。

4  ちかれたび

オカネの話を書くのがこんなに退屈なものだとは思わなかった。
ひとりづつ、友達や、ラットレースから上手に抜け出した日本の著名人(例:大橋巨泉)を書いていこうと思ったが、オカネについて書くことはツエツエバエに刺されるのと同じ、ということが判ったので、やめちにした。

ひと頃、日本で、特に若い人のあいだに流行ったように見える「支出を最低に抑えて低収入で生活を楽しむ」試みは、実は、英語世界では伝統的な考えで、何百年にもわたってさまざまな試みがされてきたが、本質的にはラットレースを周回おくれで歩いてまわるだけのことで、あんまり良い考えではないようだ。
論理的に述べても、20代から40代くらいまでは一見有効でも、親のカネや子供の扶養をあてにすることになって人間性の面で問題が出てきたり、ちょうど強制保険もなしにクルマを運転しているようなもので、人間が生きていくのには付きものの「事故」が起きれば、計画全体の余裕のなさが災いして、一瞬で取り返しがつかないことになる。

世の中の99%のことはオカネでカタがつくが残りの1%こそが人間にとって大事な一生の部分なのだ、ということを思い出して、せめてもオカネに邪魔をされないで一生を送りたいと考えるのがよいらしい。

がんばらないぞー、と気合いをいれながら、まあ、気楽にオカネを貯めましょうぞ。

19/01/2015

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生活防衛講座その2


1 住宅

銀行からオカネを借りて自分の家を買う、という行為は経済論理上はたいへんバカげた行為であることはよく知られている。
特に日本では無意味に近い。

ニュージーランドの伝統的なホームローンへの感覚は、固定金利9%の15年ローンで、1990年代ならば3寝室の一戸建で二台クルマがはいる車庫がついて庭がある家が15万ドルだったので、ざっと見積もって頭金なしで一ヶ月の支払いが$1500で支払いを終える頃にはだいたい倍の30万ドル弱を支払って家が自分のものになる。
大学を卒業するのは21歳なので大学で知り合った伴侶と結婚して初めの家のホームローンを支払い終えるときには36歳。収入がふたりあわせて10万ドルくらいなので月給というようなものに直せば9000ドル(当時の円/NZドルレートでは50万円)なので、フィジーやタイランドに一ヶ月くらいずつ休暇で遊びに行って子供をふたり育てても余裕をもって暮らせた。

いまは金利は6%に落ちて、その代わり3寝室の同じ家が60万ドルはするので逆にホームローンを組んで家を買う人は少なくなっている。

自分の家は通常資産に数えない。
なぜなら自分が住んでいる家は一円も生まないからで、いつか確かめてみたことがあったが、日本でもこの習慣は同じであるようです。
つまりホームローンを組んで自分の家を買うというのは借金をして「ゼロ資産」を買うことなので、のっけからただの無駄遣いとみなされる。

一方では前回述べたとおり日本では7000万円で買った住みなれた家を売って8000万円で売れるということは稀で、どちらかといえば4000万円くらいになってしまうことのほうが多い。
よくしたもので、いまみるとホームローンの利息も1.2%というような夢のような利息なので、15年かけて払っても600万円ほどしか利息を払わなくてもいい勘定になるが、それでも例えば鎌倉で25万円の家賃を払って住んでいる人は、いつでも川崎の9万円のアパートに引っ越せるが、家を売るというのは、日本のように慢性的に地合がわるい市場では「売りたくなったから今日売ります」というわけにはいかないので、急に売ろうとおもえば、7000万円の家も3000万円になるのがおちである。

自分ではめんどくさいので日本でも鎌倉・東京・軽井沢と家を買ってしまったが、えらそーだが、こういうバカなことをするひとはオカネが余っているからそういうバカなことをするので、だんだんスウェルが高さを増すいまの世界を渡っていくためにはどうすればいいかというこの記事の趣旨とあわないので、われながら(←古用法)シカトする。

結論を先に述べると日本で住宅を購入するのは経済的にはたいへんに愚かな行為で、家賃を払って住んでいたほうがよい。

20年なら20年という、その社会で通常「このくらいの年数でホームローンを完済するのがふつう」とされている年数で住宅の価格が二倍になる社会でなくてはホームローンを組んで家を買うのは努力して資産を失う愚行なのでやめたほうがよい。
自分の家を借金して買うという経済行為を正当化するゆいいつの言い訳はキャピタルグロースで、それが見込めない場合、簡単に言って(日本の市場でいえば)見栄を買うだけのことで「見栄」はどこの国のどんな市場でも最も高くつく商品だからです。

2 職業

現代の世界では打率がいくら高くてもホームランがでなければラットレースから抜け出せない、という。
キャリアをベースボールに喩えているので、生活費に400万円かかる社会で600万円稼いでいることには、あんまり意味がない、400万円しか給料ではもらえなくても、たとえば作曲した曲がベストセラーになるとか、発明したものが何億円かもたらしてくれるとか、文字通り「桁違い」の収入をうみだしてくれる職業でないと他人や他人がつくった会社の社員として働くことには意味がない。

ゲームでいえばチビキャラを倒して経験値をあげながらも目的としているのはボスキャラを倒してステージをクリアすることなので、チビキャラを倒すのにいくら習熟してもボスキャラを倒す技があって、次のステージにジャンプできなければラットレースからは抜け出せない。

そうして、たとえばきみが22歳の人間だとして、仕事を始めた当初の目的は、経済上は、あくまでもラットレースから抜け出して「食べるために稼ぐ」社会の支配層の側が「大学卒業者程度の人間が懸命に働いてやっと食える」ようにデザインした毎日から脱出することが目的です。

自分の職業的人生の価値と経済上の職業の価値が頭のなかでごっちゃになっているひとは、自分の職業の「経済的側面」と「意義的側面」を分けて考えるべきで、それが出来ないで、(昔の日本語でいうと)「自分探し」を職業を通してするようでは、ラットレースの社会の側がデザインした罠から抜け出せなくなってしまう。

欧州やNZやオーストラリアでは、もうどうして良いか判らなくなるとふたつの職業をもって、朝から夕方は店員で夕方からは看護師というようなのは普通で、アジアでも台湾のひとなどは女のひとは昔からふつうにそうやっていた。物理的に、いわば体力的パワーにものを言わせてラットレースから脱け出そうという試みで、ストレスに耐えて永続的に続けられる人は、たとえば夫婦で若いときからこれをやって50歳くらいでラットレースから抜け出すが、そういう例は実はニュージーランドでも普通に存在する。

なんだか力任せで乱暴におもえても、大企業でサービス残業だかなんだか、ええかげんな名前がついている無賃労働で夜まで残るくらいなら、単純なマニュアル労働でもなんでもいいからふたつ仕事をしたほうがいい、という意見は納得ができるもので、たいへんそうだが、やってみる価値がないとはいえない。

仕事をみつけるときのタブーは、「先にいけば高収入だから」という職場で、そんなことは起きても稀だから、まあ、ウソに決まってるな、とおもうほうが良い。
具体的には「当初1000万円だすけどダメだったら下げるからね」という雇い主は信用してもよいが「初めは300万円だけど頑張れば将来はすぐ1000万円だすからね」という雇い主を信じるのは、信じるほうが悪い。
昇進にしても地位にしても同じことで、20世紀はもう終わったので、初めに良い条件が出せない雇い主は、だいたい詐欺師みたいなものだとおもったほうが自分のためであるとおもわれる。

ついでに言うと医師や一定分野の技師のように細分化がすすむ方向がみえているテクノクラートも「土方化」がすすむのはわかりきったことなので、そういう職業につくのもラットレースがやや高級になるだけで、永遠にコーナーからコーナーへ、hand to mouthで、走り続けなければいけないのは判りきっている。

ふつうに工学系の大学を出て、いきなりラットレースを脱した友達の例をひとつあげれば、わし友オーストラリア人Cは卒業して、西オーストラリアの道路がない大辺境に始まって、オイルリグの技師としてキャリアを始めた。
地平線まで自分の土地であるような牧場が買いたかったからで、北海、アフリカ、あとどこだったか忘れたが、毎日ヘリコプターで通勤する(←道がないので他に到達方法がない)生活を十年送って、日本円で3億円くらいためた。
荒くれ男たちに混じって、山賊と銃撃戦を交えたりして、なかなかかなかなな波瀾万丈の技師生活を経て、いまは、念願どおり牧場を買って十年辛抱強く待った奥さんと暮らしています(^^;

ひとによってさまざまだが、

1゜ オカネと正面から向かい合って、自分なりに勝算が見込める「ラットレース脱出計画」を立てる

2゜ 世間的な見栄は顧慮しない

3゜ プライオリティをはっきりさせて余計なことを考えない

というようなことが守られている点で。20代〜30代でラットレースを抜け出すひとは共通しているように見える。

3 いいことはある

ラットレースを抜け出す方法はいろいろで、アスピナル卿のようにブラックジャックで勝ちくるって、こんなに賭博が下手なやつが多いのならば自分が胴元になったらもっと儲かると考えて自分でカシノを開いてレースから抜け出るひともいれば、ある晩、泥酔してお小遣いで ビットコインを買ったのをすっかり忘れていて、ある日、「このパスワードはなんだ?」と疑問におもって開いてみたら、そこにはいつのまにか大値上がりして2億円を越えるビットコインが燦然と輝いていた運のいい酒好きなアメリカ人サラリーマンもいる。
スーパーの買い物の帰りに気まぐれでロトを買ったら6億円の大当たりで、さっさと旦那に仕事をやめさせてスペインに家を買って引っ越してしまった主婦や、酔っ払って富豪のおっちゃんとイッパツやったら子供が出来てしまい、それが元で300億円だかなんだかのオカネをもらうことになった愉快なフランス人のおばちゃんもいる。
ラットレースからの脱出はさまざまでも、そこから初めて「自分の一生」がはじまるのは共通していて、少なくとも若い人間にとっては、ラットレースから脱出することを意識して生活することがすべての始まりで、ラットレースのなかでいくら懸命に走って上位に出て、一位になっても、そんなことにはあんまり意味がないことを先人は教えている。

なんだかオカネについて書くのは、相変わらず、ものすごく退屈で(ねむい)
次回があるかどうか判らないが、次回があれば、年収別のサバイバルプランと、そこでもまだ眠っていなければ、たくさん例を挙げて、ラットレースの、そのまた予選で出走取り消しになったような前半生を送りながら、結局はラットレースを抜け出して、人間としての一生を開始するにいたった、わし友達たちの例を挙げていこうと思います。

でわ

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生活防衛講座その1


2009年には、「アイスランドの次はニュージーランドだ」と皆が述べていた。
ここでいう「皆」というのは文字通り世界中のアナリストで経済が少しでも判るひとなら定見ということになっていて、「次はニュージーランドだ」という。
ニュージーランドが国家として倒産するだろう、という意味で、論拠の最大のものは5yearCDSが206.3bpsから215.2bpsに上がったので5年以内にニュージーランドはデフォルトになるだろう、ということだった。

その頃クレジットクランチ直後のロンドンにいたぼくは、クレジットクランチの直前に手じまいにしたオカネをニュージーランドに投入することにした(←下品)。
いろいろな資金がニュージーランドから大慌てで逃げ出すのが手にとるように見てとれたからでした。

5年たってみると経済や市場の権威のひとたちが述べた事はすべておおはずしで、正反対というか、いまはニュージーランドはバブルのただなかにある。
この奇妙な事情のあとさきは説明する必要を感じないが、単純に凍死家と経済家の考えることはそれだけ違う、という意味で書いている。

ずっとむかし、蒐集している日本語雑誌をカウチに寝転がって眺めていたら読者の経済相談室、というような風変わりな企画があって、「短大に行った学歴の平凡な主婦」と自分を表現している人が、
「たいへん素朴な質問で恐縮ですが、日本は人口が減っているのに、最近は住宅ブームで新規住宅が建設ラッシュで地価も騰がっています。
人口が減れば家はあまるとおもうのですが、なぜですか?」
と書いてある。
評論家の人が、ほとんど苦笑が見えるような感じの筆致で、でも嫌味がない言い方で、経済はそういう単純なものでない旨を懇切丁寧に書いている。

読み捨てを基本とする週刊誌を、まさか何年も経ってから読む意地悪な読者がいると、この大学教授の肩書がある評論家の人は想像もしなかっただろうが、読んでいるほうは、この問答があった一年後、住宅が過剰供給におちいって暴落したのが判っているので、軽い溜め息をつきたい気持ちに駆られます。

余計なことを書くと、日本の住居用建物市場は奇妙な市場なので有名で、まず既存の住宅に「中古住宅」という、ものすごい、嫌がらせのような名前がついているマンガ的な細部から始まって、1990年に建った家は「築25年」であるという。
社会通念として家が年齢を加えるごとに減価してゆくという中古車市場に似た市場常識に支配されていて、
ちゃんと計算してみたことはないが家を買うよりも借りたほうが経済的には遙かに賢明、ということになりそうな不思議な市場をなしている。

他の国ではどうかというと、建物が出来たのが1000年前で、床にクリケットボールを置くと、コロコロコロと勢いよく転がるのを喜色満面で見つめた買い手が、「おおお。歴史の勢いですな、これは。角の根太のあたりが腐っているのもわくわくする。直すのに手間がかかりそうだ」と相好をくずしながら述べて、その場で売買契約を結ぶイギリスのようなヘンタイな国は極端としても、ニュージーランドでも、家を観に来た買い手が、
「コンクリートブロック、というと50年くらい経っている建物だろーか」と訊くと、不動産エージェントが、さあー、多分1960年代だと思うんだけど、ともごもごいう、という好い加減さで、なぜそうなるのかというと、誰も家が建って何年経過しているか、というようなことは気にしていなくて、
建物が健全かどうか、デザインがカッコイイか、クルマは何台駐められるか、あるいは最近はバブルで土地がものすごく高くなったので敷地がどのくらいあるか、というようなことしか考えない。
そうして言うまでもなく、最も価格に影響するのは通りの名前と地域の名前で、クライストチャーチならば地域名よりも通りの名前がすべてだが、オークランドでは住所の宛名にハーンベイ、リミュエラ、パーネル、…というような名前が入るかどうかで決まる。

もう少し余計なことの続きを述べると、英語圏では、どの国にも、ここ50年ほど価格が下がったことがない通りが存在して、たとえば日本の人が知っていそうな通りならばマンハッタンのパークアベニュー沿いのアパートメントはいちども価格がさがったことがなくて。モニさんが両親からプレゼントされたアパートメントはここにあるが、不況でも不動産市場が暴落しても、日本が宣戦布告しても、小惑星がニューヨークに激突しても、価格がさがるということはない。

いっぺん買えてしまえば、価値はあがってゆくだけです。
日本の住宅市場があまりに特殊なので日本に住んでいる人の目にはなかなか見えにくいことだが、たとえばニュージーランド人は、もともとは大学を卒業するとローンを組んで3寝室の家を買って、それから平均10回家を売買して、人生の後半に到て子供が独立すれば、それまで5寝室の床面積が300平方メートル、敷地が1200平方メートル(←1000〜1250平方メートルが、もともとは高級住宅地の標準的な住宅の敷地面積だった)の家に住んでいたのを売り飛ばして、10個程度の、理想的にはブロックごと買ったフラットを持ち、死ぬまで家賃収入で暮らす、というのが物質的に成功する人生のモデルで、イギリスも、ディテールは異なるが、一生の財政プランの骨格は同じです。

いまはバブルのさいちゅうなので、初めの3寝室が、あんまり良い住宅地でなくても、60万ドル、日本円になおせば5500万円もしてしまうというバカバカしさで、どうするかというと、やはり同じバブルの渦中で、しかも絶対収入金額が多いオーストラリアに出稼ぎに行って稼いで貯金する人が多い。

普通の人が目にする日本語の記事は、経済専門家にくわえて、なんだかよく判らないブロガーみたいなひとが、厳粛な顔つきで思いつきを書いていて、自民党が大勝したのでアベノミクスが本格化して景気がよくなるだろう、とか、来年は日本経済は崩壊して全員路頭に迷うだろう、とか、専門家も受け狙いブロガーも禿げ頭の「経済学者」もみながいろいろなことを述べて、賑やかだが、数学モデルを考えてみればすぐに判るというか、前にも書いたが経済も市場もランダムウォークで、もしかすると普通の人の直観とは異なるかもしれないが、予想のようなことが成り立つわけはなくて、簡単に言えば「アベノミクスで景気がよくなる」と述べる人も「日本は轟沈する」と述べる人も、どっちもええかげんなウソツキで、現実はどうなのかといえば、
株価チャート、というものがあるでしょう?
あんなものでもただの迷信で、というと、どっと怒りの声が浴びせかけられるだろうけど、迷信は迷信なので、血液型診断と同じで、まして窓が開いたとか、窓がふさがったとか、はははは、きみダイジョーブか、というくらいヘンなものであると思う。

アベノミクスに踏み出したことがいかに国民ひとりひとりに破滅をもたらしうる、国家経済主義者らしい奇策で、その奇策のむなしさはSNBが出した正統金融政策によって、立ち会いで変わった横綱があっさり小結に押し出されてしまったとでもいうような、みっともない姿で国際市場のまんなかでたたずんでいるが、そういうことは「予想」ということではなくて、経済にはやっていいことと悪いことがある、というただそれだけのことだが、もう何回も繰り返し書いたので、もうここでは述べない。

日本の人にとっての焦眉の急は、自分の生活と、こっちはもっと難しいが、自分の将来の生活を防衛することで、経済家やブロガーのインチキなご託宣はどうでもよいから、足下を固めなければ、欧州も日本も、ただでさえグラビティポイントが高い船体の経済なのに、ぐらぐら揺れて、不気味なことこのうえない。

理由の説明を省いて現実の説明に終始すると、世界じゅうのオカネモチがやっていることは、ラットレースから抜け出すことによって産まれた余剰のオカネを「値下がりしたことがない通り」に住宅を買ってキャピタルゲインに期待するか、本質的には同じ投資の考え方だが集合住宅を買って家賃収入をつくってキャピタルゲインにつなげてゆくことを期待している。
本来は通貨は生活に必要なものや生活を楽しむものに使われるべきで、夫婦のクルマを買い換えたり、よりよい「自分達が住む家」に移ったり、家具調度、子供の自転車、というようなものに消費されるべきだが、ブッシュが政権につくまでほぼ40年にわたって住宅価格が安定していたかつてのアメリカ社会(←キャピタルゲイン目当ての住宅投資が出来ないことを意味する)、分厚くて莫大な中間層をもっていて、しかもその「中間層」に工場労働者から管理部門の部長クラスまでが含まれていたアメリカ社会とは異なって、ほんとうはもうオカネがいらない家庭にしかオカネが流入しないので、行き場を失ったオカネが住宅投資に向かって、住宅がどんどん非現実的な価格になってゆく、という循環に陥っている。

その結果なにが起こるかというと社会が繁栄すればするほど社会の9割を越える層はどんどん貧乏になって、住宅の価格の高騰で最も肝腎な家を奪われてしまうことで、一軒の家に6,7人で住んでやっと家賃を払ういまの都市部ニュージーランド人の生活は、中間層の生活の質がホームレスに無限に近づいているいまの社会を忠実に反映している。
言うまでもないがアベノミクスが「社会の繁栄」と呼んでいるのは、西洋型の「オカネがあまった人間の懐に更におおくのオカネがはいる社会」の繁栄のことで、分配の構造が変わらない以上、繁栄は直截生活の質の低下に結びついてゆく。

逆にアベノミクスが失敗すれば個々の日本人から借用した形になっているオカネは永遠にもどってこないままディーラーの手元におさまってしまうわけで、この場合は、いちど沈降した経済社会全体を元のGDPパーキャピタ25位あたりに戻すことも難しくて、あんまり使わないほうがよい指標であると言えなくもないが、日本語ツイッタで、円の実質実効貨幣価値は、 すでにプラザ合意以前の70円程度にさがっていると教えてくれた人がいて、確かめてみるとそのとおりで、うひゃあ、とおもったが、あんまり経済に興味ないもん、という人のために簡潔に述べると、何のことはない、日本はすでに中進国になっていて、「アベノミクスが、うまくいったら先進国にもどれるかんね」というところまで、名実ともに、通貨の価値もともに、ずるずるとアベノミクスのすべり台を滑り落ちてしまっている。

SNBの決定がマスメディアが伝えるより世界経済に対しておおきな影響を与えていることや、アベノミクスがすでに失敗としかいいようがない様相をみせて日本を一挙にビンボ地獄に送り込もうとしていることは、別に、ここに書いても仕方がない。
次回から、個々の人間、ケースバイケースで、このだんだん無茶苦茶になりつつある世界を生き延びてゆくには、どんな具体的な方法があるか、退屈でも、ひとつひとつ述べてゆこうと思います。

(画像は家の引っ越し。いらなくなった建物をちょうど自動車を買うように建物ヤードで買って、こうやって建物ごと使う場所まで移動させまする)

17/01/2015

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Sienaの禿げ頭


イタリアがもっか如何にビンボであるかは幹線道路を走ってみればすぐにわかる。
イタリアの道路は高速道路が私有であったり、国有やコムーネがもってるのや入り乱れていて判りにくいが、公共道路は徹底的にボロボロで、制限時速110キロの道路に、ぼっこおおーんと穴が開いていたりするので小さい車輪のクルマだと危ないほどです。
しかもそういう穴ぼこをパッチアップするのにトラックでやってきたおっさんがひとりでアスファルトを埋めていたりする。安全要員ゼロ。
トラックを万が一のときの盾にして、おっちゃんがどっこらしょとアスファルトを盛っている。

朝、起きたら天気が良かったのでSienaに行くことにした。
水曜日はマーケットが立つ日だとミシュランに書いてあったのを思いだしたからです。

いま調べてみたら日本語では「装飾写本」というそうだが、英語ではIlluminationという。
https://en.wikipedia.org/wiki/Illuminated_manuscript
確かに欧州語でも金箔や絵を使わない装飾的文字だけのものでも骨董美術店に行くとたとえば「Manoscritto mininato」と言って売っているが、本来は金箔や絵をちりばめたものだけについて使われる言葉で、「装飾写本」では値段にして1ページ€100くらいから売っている文字が装飾的な手書き本が入ってしまう。
だからここでも日本語の「装飾写本」という言葉でなくて、ただ「Illumination」のほうが良さそうです。

SienaのカテドラルにはIlluminationで有名なライブリがあるので、そこに行きたい、ということがある。
それにマーケットがあればどこにでもホイホイとでかけていくのも、このブログを昔から読んでいる人にはおなじみのわしの癖で、多分、中世くらいからの先祖と同じ「マーケット」と聞くと浮かれてしまうケーハクさがいまだに血中に残っているのだと思われる。

いま「明日はシエナに行くべ」と述べたツイッタを見ると村上憲郎が返答に「30年前に女房とふたりで闇雲に町中を走ったら偶然Piazza del Campo
http://it.wikipedia.org/wiki/Piazza_del_Campo
に出た」と恐ろしいことを書いている
https://twitter.com/noriomurakami/status/339533964765167616
が、なぜ恐ろしいかというと、ほんとうのことを小さい声で言うと道路はなにしろカンポ広場やドゥオモに出るように出来ているので闇雲に走ってもかなりの確率でどちらかに出るが、たどりつくまでには人間の雑踏で、5,6人はひき殺さなければならなかったはずで、村上憲郎はカーマゲドン
http://en.wikipedia.org/wiki/Carmageddon
を30年前に実地に行って人生の秘密にしていたものだと思われる(^^;)

わしはいまでもスーパー血気盛んな村上憲郎と異なって温和で成熟したおとななので、そんな乱暴なことはしません。
イタリアの町のまんなかで、マーケットが立つ日に駐車する余地があるわけもないので、町の外縁、およそ1キロくらい離れた空き地の無料駐車場をみつけて、そこにクルマを置いていくことにした。

クルマを降りてみるとマーケットへの道がさっぱり判らないので、近くにクルマを駐めて書類を片手に歩き出しつつあるおっちゃんに「マーケットをやってる場所にはどうやって行くのですか?」
と訊いてみた。
おっちゃんは、イタリアの人にはよくある身長が165センチくらいで、風采の立派な紳士っぽい人である。
背広の仕立てがたいへんよろしい。
靴が途方もなくかっこいい。
「マッキーナ(自動車)で行くの?それとも歩き?」
モニが、多少慌てたのか、クルマだけど歩いて行きます、と応えている。
おっちゃんは、うーむ、という顔になってから、しばらく(およそ3秒くらい)長考してから、
「マッキーナで行くの? それとも歩き?」
とさっきとまったく同じ質問をもう一回しておる(^^
他に質問のありかたを考えてみたが、やっぱり思いつかなかったのでしょう。
「歩きです」と応えると、おお、そうか、と述べてから、
しばらくして、「この道路を向こうがわへ歩いて行くと、ラウンドアバウトがあって、そこを橋の側に渡って、ピッツエリアの前を道路を横断して、そこから50メートルくらい行くと長い階段がある。その階段をあがって、ずううううっと歩いて行くともうひとつラウンドアバウトがあって、そこのクルマだとすると3番目の出口なる道路をわたると、ロムルスとレムスがshe-wolfからお乳を飲んでる銅像が道の両側にあるところに出るからね…あっ…ロムルスとレムス、判る?」
「判ります。ダイジョブ」
「そこをすぎてゆるい坂道をてくてくと歩いてあがって行くと、左に曲がる道があって…(中略)… バスのターミナルが左に見えるところに出るから、その右側の公園をずっと歩いてゆくとマーケットがあると思う。判った?」
「ぜんぜん、判りません。ごみん」
おっちゃんは、しばらくわしをじっと見上げていたが、しょーがないな、頭が悪いのだな、気の毒に、という内心の声が明瞭に聞こえるような、しかし、あくまでチャーミングな顔でニコッと笑うと、
じゃ、ぼくはさ、仕事まで少し時間があるから一緒に歩いていってあげるよ、ついておいで、と驚くべきことを言うなり、さっさと先に立って歩き出してしまった。

モニさんが、すっと追いついて、180センチよりもちょっと高いモニさんと、165センチくらいのおっちゃんは、おっちゃんがモニをクビが痛くなりそうな角度でみあげたり、モニさんがおっちゃんのほうに屈んだりしながら、何事か笑いあいながら歩いてゆく。
やや遅れて、二人の後を歩いているわしには、露骨にうらやましそーな視線をおっちゃんに投げている他の出勤途中の老若の男どもの様子が観察できて面白い。
ときどきモニが後ろを振り返って、わしに知らないイタリア語の単語の意味を聞いたりする。

ところでおっちゃんは周辺部のみを残して見事なつるっぱげであって、後をついて歩くわしにはまぶしいほどであった。
わしはおっちゃんの目にあざやかなハゲ頭をみながら、ハゲもこのくらい、すかっとハゲてると、昨日のパーティのドイツ人の知性ありげな銀髪頭なんかよりかっこいいな、と考えた。
わしがモニなら、目的地に着いたところでハゲにチュッとしてあげるであろう。
髪の毛がないぶんだけ(多分)ハゲ頭は清潔であると思われる。

バスのターミナルが見えるところについて、モニとわしに右手の公園を指さして、「ほら、あれがマーケット」と言うのでお礼を述べようと思ったら、あっというまに踵を返して、すたすたすたと元来た道を戻っていってしまう。
その「間の外し方」というか、相手にお礼を言わせない、ちょーかっこいい、高文明度のおやじだけにしかできないタイミングの外し方を記録しておきたくて、この記事を書いているのです。

お礼もハゲにチュッも出来たものではない素早さでおっちゃんは去って行くと、3メートルほど歩いたところで、ぴたっと歩を止めて、くるっと振り返ると手を挙げて、「楽しい一日を! なんて綺麗なお嬢さんだろう」と言って、また、こちらにはなにを言わせる隙も与えないまま、燦然と空に輝き始めた太陽の光にハゲを輝かせながら、ずんずんずんと坂をくだって行ってしまった。

モニとわしはイタリアおっちゃんのあまりのかっこよさにカンドーしてしまいました。のみならずシエナは一挙に「かっこよくて文明度が高い上品な町」というイメージを獲得してしまった。

マーケット自体は、店の数ばかりが多いあんまし面白くないマーケット(シエナの人ごめん)で、全体に数が多いなんだか巣鴨駅前商店街の軒先が並んでいるような洋服屋台や、花、あとはほんのいくつかあるだけの魚や肉を売っている屋台が出ているだけで、中国のひとたちの巨大な集団がふたつほど航行しており、60歳代くらいの日本人のカップルが数組、お行儀良く歩いている。
あとはお決まりのドイツ人たち。
地元のおばちゃんたちとおじちゃんたち

モニとわしはフェネルのソーセージを買っただけで、Illuminationを観にカセドラルへ向かいました。
シエナの町は、(中世の町にしては)道幅が広くて、明るい町並みで、清潔で綺麗でもあって、30年前に村上憲郎夫妻にひき殺されたひとびとも、あれなら成仏したのではないだろうか、と思わせる、上品な町であった。
モニは一個ずつIlluminationの前に立ってはメモをとって次に移動するので、結局カテドラルに4時間くらいいたのではあるまいか。
そのあとシエナの町をぶらぶら歩いて、いままでの一生で一等うまいカフェ・ラテを飲んだり、すごおおく美味そうなのに食べてみるとマクドナルドのハンバーガーよりも不味いパニーニをかじって捨てたりした。
日本の人にために報告すると、大集団でぶおおおおおんと移動する中国のひとたちや、少人数のグループにわかれてなんだかものすごいでかい声で、まわりの観光客をびびらせまくっている韓国のひとびとに較べるとシエナでみた日本人観光客は、多分団塊世代と思うがカップルで、身なりもよくて、ややひきつったような緊張した表情はよくみるとヘンだけど、他は自然で、モニと日本のひとだね、日本、なつかしいね、と話したりした。

土産物屋の店先で、だんだん露骨になってくる欧州の中国嫌悪病を反映して、Made in China と書いてChinaにおおきくXをつけた陶器の置物

を置いてあったりしていたが、中国の人、韓国の人、日本の人、と順番にみると、まるで洗練されてゆく観光態度の歴史を並べてみせられているようで、わしガキの頃の日本人観光客の行状を思い出しても、もしかするとこういうことも、単に時間の問題なのかなあ、と思ったりした。

新大久保の本来の日本人らしくない粗野でバカっぽい脳が半分憎悪で溶けてなくなってしまったようなひとびとのくだらない騒ぎや、橋下徹大阪市長の名状しがたい卑しい心根と一部の日本のひとが他人にそれと指摘されてすら気が付かない惨めな人間性の欠落を見事に国外に向かって再喧伝してしまったスピーチ、というようなことをちょっとだけ考えたが、天気が良いせいか、すぐに考えは朝方出会った文明人的に親切なハゲおっちゃんに戻って、ああいう人、日本にもいるものな、日本が新大久保騒ぎや大阪市長のような惨めな姿をさらしているのも、そんなに長くない期間だろうと考え直して、クルマまで歩いて戻りました。

帰りには国道沿いのシエナの市境に近いトラットリアに寄って、「ガメは人間が相変わらず保守的だなあー」とモニに笑われながら、ソースがかかっているというふうではない、謂わば「乾いた」、本格的で無茶苦茶うまいスパゲッティ・ア・ラ・カルボナーラを食べた。

モニさんは「ジプシー風」ペンネ。デザートにミルフィユを食べたら、添え物のオレンジにかかった蜂蜜にちっこいちっこい蟻が二匹溺れて入っていたので、文句を言うというのではなしに、瓶のなかを調べたほうがいいとおもうぞ、と支払いのときに述べたら、店主のおっちゃんが愉快そうに笑っていた。
€37のお勘定を€30にまけてくれた。
蟻は、いいんだよ、別に、とゆったら、もちろんさ、ゴキブリとは違うからね、でも釣り銭がないんだよ、というので、ほんとうかどうかは判らなかったが、厚意を受け取ることにしました。

トラットリアの駐車場でモニがううううーんと腕をいっぱいにのばしておおきく伸びをしながら、「人間はいいなあ」と言う。
「最高だな、ガメ」
「うん」と、わしも心から頷いて、また「どっかん」な穴が開いているハイウェイを戻ってきたのでした。

なんちゅうか、良い一日だった。
クルマを降りて部屋にはいった途端、豪雨が降り始めたところをみると、相変わらずの気まぐれで神様が台本を書いた一日だったようでもある。
神様が自分で作るIlluminationは、やっぱし中世の坊さんが目をしょぼしょぼさせながら描いたIlluminationよりも、やはり少し手がこんでいるのかも知れません。

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移動性高気圧

大雨のなかをモニとふたりでクルマからスーパーマーケットのなかに駆け込んでゆくだけでも楽しい。

30歳の人間の生活は複雑で、事業(はっはっは、「事業」だって)どころか家の運営にすら複数の人が立ち働いていて、めんどくさいたらありゃしない。
でも生活を巻き戻して簡潔にしてしまう方法はある。
旅にでるのね。

今日は朝ご飯を食べただけだけど、途中においしそうな店がなかったから、イタリア式乾パンとワインだけでいいび。
普段は家のひとびとが代わりにでかけてくれるスーパーマーケットにモニとふたりででかけて、水とワインや、Tonnoの瓶詰め、パスタ(麺もペストリも!)、プロシュートに白アンチョビ、アラビアータソースを買う。
キッチンがあるところに泊まれば料理もする。
せっかく鍛えた料理の腕前を鈍らせないためには大事なことです。

旅行に出る度に人間の暮らしは簡単なほうがいいなあー、と思う。
生活が単純になるとテレビはおろかインターネットもあんまり見なくなるよーだ。
ラツィオからウンブリアへ抜けるイタリアの曲がりくねった山道を雷雨と競争で駆け抜ける。
雷雲に追いつかれて買い物袋を両腕に抱えたままびしょ濡れになったスーパーの駐車場で「バカップル」そのままに笑い転げている。

さっきまでの豪雨がウソのように晴れて、青空が広がったTODIの田舎道で馬を飼っている牧場に行き当たったので白い馬ばかりが5頭駈けているパドックの柵にもたれて、寄ってきた馬と遊ぶ。

ガメは、どうしてどんな馬にも好かれるのだろう?という。
考えてみれば馬だけではなくて犬も猫も。ロバまで!
「あっ、ロバはね、説明できるぞ。
彼らは日本語で話すのさ。
いいよおおおおー!て言う。
いいいいよおおおおおおー!!
ロバたちや日本人たちにとってはOKって意味なのさ。知らなかったでしょう?」
モニが、ウソばっかりと言いながら笑いころげている。
ほんとうのことなのに。

どんな動物にも好かれるのは、ぼくがほんとうは人間なんかじゃないからさ。
知ってるかい?
思い出せなくなってるだけで、モニも、もともとはぼくの種族なんだぜ、と冗談を言おうと思ったが、なんとなく言いそびれてしまった。
自分が何であったかを思い出されて、この楽しい地上の生活が終わってしまっては困る。
サイヤ人は辛いのだとゆわれている。

午前3時をまわったころ、窓の鎧戸の下を誰かがおおきな声でひとり声を言いながら歩いている。
RIETIの田舎にいるはずなのに日本語です。
はっきり意味が聴き取れないが「どうしてこんなことになったのだ」というようなこを言っているように聞こえる。
半睡半醒の間が睡眠に傾いているあいだは、それは軽井沢の「山の家」で、鎧戸の向こうなのに青い月の光が見えている庭だった。
だんだん目が覚めてくると、RIETIのオリーブ畑に囲まれた(元はワインセラーだった)一軒家を改造した宿屋の寝室にいるのが明瞭になってくるが、それでも同じ声は歴として窓の下に聞こえている。

でも抑揚だけを聞くと日本語に聞こえるその「鳴き声」は日本語としては意味をなしていなくて、なにかの獣の鳴き声のようである。
見当がつかない生き物の声を訝ってベッドに起き直っていたら到頭モニも目をさましてしもうた。

「イノシシかな?」と言うと、モニはさっさと起きていって窓を開けて身体を乗り出して懐中電灯で音がする方を照らしていたかと思ったら鎧戸と窓をしめてベッドのシーツのあいだにもぐりこんでしまった。
なんだった?
と訊いても返事をしてくれません。
シーツを無理矢理ひっぺがして、「ねえ、なんだったの?」と訊くと、
ニカッと笑って「蜘蛛の巣にかかったおおきなハエ」という。
ウソ。
ほんとです。
ウソ。

やむをえず自分でも窓を開けて軒先をみあげてみると、おおきなクモの巣にひっかかったおおきなハエだった。
なんだかモニがシーツをかぶって泣いている様子なので顔を覘いてみると泣いているのではなくて、声を殺して笑っているのだった。
ものすごく苦しそう。

「ガメって…….. イノシシかな? だって! イノシシ!! ガメの世界のイノシシさんにあって声を聴いてみたい…あんな鳴き声のイノシシって、火星かどこかにいるのか?…ああ、もうダメ…くるしい」

旅が教えてくれることのうちには、最良の人生には意味も教訓もないのだ、ということが含まれる。
青い空に輝かしい太陽がのぼるように幸福があらわれて、夜には水煙のように空ににじむ満点の星の光がきみと愛するひとのもとに静けさを届けてくれる。
そのときにこそ、一日という長さではないのはもちろん半日ほどもなく、一時間ですらなく、ただの一瞬間にすぎなくても、きみは「言葉によって翻訳されていない直截な幸福」を手にするのかもしれません。
神の掌に直に触れたひとのように。

ほんとなんだぞ。

24/05/2014

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「とても単純だが言葉によっては説明できない理由」について

伝説的ヨット乗り、フランス人のBernard Moitessierは世界で初めての単独無寄港世界一周ヨットレースであったSunday Times Golden Globe Raceに参加する。
なにしろGPSどころか近代的なバタンすらない頃で、ヨットで無寄港で世界一周をするなどは無謀な冒険とみなされた時代である1968年のこのレースで、他の参加者がすべて脱落したあとRobin Knox-JohnstonとBernard Moitessierの二艇のketchだけは終盤まで生き残って、すべての難所を乗り越えて、いまや目前の最終目的地の連合王国を目指す。

Bernard Moitessierのヨット「Joshua」が喜望峰をまわって大西洋に姿をあらわしたときのフランス人たちの熱狂はすさまじいもので、イギリス艇とデッドヒートを繰り広げながら大西洋を北上して、もうじき欧州の海にあらわれる「フランスの英雄」のために、フランス海軍は歓迎と伴走のための大艦隊を組織して出航する準備にかかり、政府はレジオンドヌール勲章を約束する大騒ぎになった。
少なくとも10万人の大観衆が到着港には見込まれていた。

妻のフランソワーズはずっとあとになって「でもわたしには何かが起きるとわかっていました。わたしはBernardというひとを誰よりもよく知っていましたから」と述べている。
この、自分の妻によって「詩人、哲学者」と描写された偉大な航海者のBernard Moitessierは、ゴールを目前にして突然ヨットを反転させる。
彼自身の言葉によれば「とても単純だが言葉によっては説明できない理由」によって、彼は、なんと二周目の世界周航に向かってしまう。
破天荒どころではなくて、いまでいえば火星から帰還して地球軌道にもどってきた単独宇宙旅行の飛行士が勝手にもういちど火星をめざして飛び去ってしまうようなもので、自殺的とも狂気の行動ともみえる行動だった。

Bernard Moitessierの「狂気の反転」のニュースが伝えられるとフランス国民は怒り、悲しみ、失望に沈んで、途方もなく混乱した気持ちにおちいっていった。
Moitessierの娘は三日間泣き続けて、「おかあさん、わたしたちはこれからどうやって生きていけばいいの?」と訊いたが、母親は「あれがお父さんなんだから、このまま生きていくしかないじゃないの」と答えたそうである(^^)

Bernard Moitessierは再び難所だらけの「Roaring Forties」
http://en.wikipedia.org/wiki/Roaring_forties
を通過し、まるで選んだように帆船にとって困難な海ばかりを通ってタヒチに着く。
ようやく、そこで航海を終える。
10ヶ月、70000キロメートルに及ぶ単独航海は、もちろん、新記録と呼ぶのもばかばかしいほどの大記録だったが、Bernard Moitessierは自分が夢中になって読んでいた本を読み終わってしまいたくなかった一心で、自分がいったいどれほど遠くまで来たかを、知らなかったのではないかと思われる。

Bernard Moitessierはレース前のインタビューで「このレースにカネや名声めあてに参加する人間はひどく後悔することになるだろう」と述べた。
ひとびとは、なるほど、と彼の簡明すぎる言葉を理解したつもりで頷いたが、ほんとうは何もわかっていなかった。

Bernard Moitessierは島影もなにもない「圧倒的な莫大の感覚」に満ちた大洋を愛していた。
そこで自分を発見し、自分自身への信頼を見いだし、鏡に映る自分の姿ではない自分というものの素の現実の姿を自分の目でみつめる方法を手に入れたひとだった。

長い航海の最後の一瞬で、彼は「ゴールに着いてしまえば、すべてが消えてただゴールへ到着したという達成だけが自分を説明することになる」ことに気が付いて、それに耐えられなくなっていったのだろう。
彼が、反転する、という破天荒な行動に出たのは、どうやっても「航海している自分」よりも「ゴールを目指して航海し勝利のなかでうすぺらな勝利者になってゆく自分」を下位におくことができなかったからであると思う。
言葉にならないものが、言葉によってかきけされることに耐えられなかった、と言い直してもよい。

子供の頃、Bernard Moitessierの物語を読んで、どれほど興奮したか、うまく説明できない。
世界周航レースの勝利者であるKnox-Johnston卿の物語を読んだときには明るい気持ちの単純な愉快さが感じられただけだったが、Bernard Moitessierの物語を読んだあと、わしは理由がわからない涙がとまらなくて困ったのをおぼえている。
直前で勝利を拒否した航海者の、奇妙な、しかし高貴な魂を感じさせずにはおかない気高さが、ガキわしを感動させたのだと思われる。

わしは人間は目標をたてて精励して努力するときが最も尊いのだというのは嘘だと思う。
Bernard Moitessierは海にいたいだけだった。
たったひとりで陸影のない海をすすむことに自分の存在のすべてを見いだしていた。
先週、船をだしてハウラキガルフの外へ遊びにいく途中、もう夕陽がおちるころ、オレンジ色の海面を横切って、陸地からかなり離れた沖合で、小さなローイングボートで波を切りながらすすんでゆく人を見て、なんて危ないことをするのだろう、と考えたが、考えてみれば人間の一生は、要するにいつ転覆させる波がくるかわからない海面を小さなボートを漕いでゆくようなもので、帰ってから、あれは人間の一生の姿そのものに過ぎないのだ、と考えたりした。

Sunday Times Golden Globe Raceには、実はこのレースによって歴史に名前を残すことになったもうひとりの人物が参加していて、このひとの名前は聞いたことがある人もいると思うが、Donald Crowhurstという。
航海用ビーコンの発明者で、ビーコンを作って売るビジネスがうまくいかなかくなっていたCrowhurstは自分のビジネスを苦境から救う宣伝効果のために当時としては画期的なデザインであったtrimaran
http://en.wikipedia.org/wiki/Trimaran
でレースに参加する。
いまではほとんどのヨットレースでtrimaran が見られるとおり、冒険的だが合理的な考えで、Donald Crowhurstには実際にレースに勝って名声と大金を手にするチャンスがあったとわしは思っている。
trimaranの欠点である横転時の復元性を改良するためにCrowhurstが考えたマストの先のバルーンとアウトリガーのバラストの組み合わせで出来た復元装置ひとつとっても、Crowhurstの独創性がはったりではなかったことが判る。

Crowhurstは、よく知られているとおり、レースの途中で身を隠して、途中の大西洋復路からレースに再び参加して世界一周をしたと装おうとして航海日誌を偽るが、レースの参加者が少なくなるにつれて高まる自分への歓呼の声に絶えられなくなってサルガッソー海で悲劇的な自殺を遂げる。

航海者というものは、本音をのべれば、目的地などはどうでもよくて、「ただもっと遠くに行ってみたい」と思っているだけなのであると思う。
大叔母の家の、わしがいつも泊まる寝室には18世紀風の巧緻な筆使いで丹念に描きこまれた、地球の縁から流れ落ちる滝に転落しつつある4本マストの帆船の絵がかけてある。
その絵の下には、日本語に訳せば「だから、ゆーたやん」という意味の言葉が書いてある。

人間も赤ん坊のときからなんだかとても忙しそうだが、夢中になって走り回って、勉強して、恋をしたり、オカネが儲かったり、誰も見つけたことのない小さな真理を新しく発見して有頂天になったりしながら、奇妙な海図のなかをすすんで、最後には果てしない海原のどこかで航海を終える。
よく考えてみれば目的地に着いて寄港してしまった人は、そこでほんとうには一生は終わってしまったのである。

Donald Crowhurstの過ちは航海を自分の一生に資す道具であると思い込んでしまったことだった。
世界一周という航海を自分の名声と経済的成功への道具だと意識した瞬間から、彼にとっては航海は実行するのが不可能なほどの苦痛に満ちた重い労役に変わっていった。
Knox-Johnston卿がレースの賞金をDonald Crowhurstの未亡人と遺児たちに送ったのは、人間の悲惨の罠にはまってもがけばもがくほど身動きがとれなくなっていった、ひとりの苦闘する人間への、航海をするための道具として人間の一生を眺めるというまるで正反対の角度から一生をみつめて終始した冒険者からの挨拶であったのだと考える。

わしはDonald Crowhurstが電報を打って発表する航海記録を海の上でニュースとして聞いていたKnox-Johnston卿やBernard Moitessierが信じたことはいちどもないのではないかと思う。

「とても単純だが言葉によっては説明できない理由」が、トリマランのビジネスマンには、かけらも見あたらなかった。
そうして、そういうことどもというものは、怖ろしいことに、いつでも「手のひらにさすようにして」言葉によって説明できないものを共有するひとびとには判ってしまうものであるからです。

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「微かな叫び声」についてのメモ

たいてい秋から冬に向かう寒い夜ふけ、窓をあけたまま机に向かっていると、遠くから微かな叫び声が聞こえてくることがある。
手を止めて、ノートブックの上にペンを置いて、テラスに出て耳をすます。
きみの両親の家は、なだらかな丘の上にたっていて、遠くまで見渡せる田園の一角にあるが、その声がどこから聞こえてくるか定かだったことはない。
なんだか地平線の向こうから聞こえてくるようでもあるので、しばらく闇のなかをみつめたあと、きみは自分の部屋にもどって、ペンを手にとって、また本を広げる。
だいたい午前1時か2時頃、あの声はなんだったろう、と訝しみながら抽象的なもの思いのなかに戻ってゆく夜が、なんどもあった。

船のキャビンのなかで目をさまして、モニさんを起こさないように、そっと舳先にある寝室からでて、甲板への短い階段をあがって、まっくらな海面を眺めながらウイスキー入りのコーヒーを飲んでいると、聞こえるか聞こえないかのような声で、歌のような、すすり泣いているような、あるいは遠くで呼び合っているような声が聞こえてくる。
星のない夜、町からも島からも遠く離れて、広い海のうえで、ただ自分の船の停泊灯だけがわずかに辺りを照らしている。

きみは甲板の上に椅子をだして、声がするほうを眺めている。
もう少し精確にいえば、声がするほうの闇を眺めている。
風が立てる音をまちがいはしないだろう。
だとすれば、あの声はどこから聞こえてくるのだろう?
凪の海のまんなかほど静かな場所はこの世界にはない。
どんな小さな軋音のひとつひとつのなにがどんなふうに音を立てているのか知悉している、船自体がたてる小さな音の他には、ただ静けさだけがある。
自分の体内がたてる音と船のたてる音以外にはなにも聞こえない静寂の遙か遠くから聞こえてくる声に耳をすまして、きみはなんとか聞こえてくる言葉を書き留めようとする。
ラテン語のようにもイタリア語のようにも聞こえるが、ほんとうは人間の言葉なのかどうかもわからない。
ただ、「嘆いている」ということがぼんやりとわかるだけである。
なにごとかを悔いて、悲しんでいるひとの声であるように聞こえる。
しかもそれは歴然と男の声である。

人間は他人に対してほとんど関心をもっていない。
だからきみがなにをやっていても、他人の目を気にするくらいばかげた心配はない。
ときどき友人たちがやってきて、きみの新しい髪型はヘンだ、変わった言葉づかいをするようになったんだね、ということがあるが、それは手近に目に入ったきみを材料に気張らしをしているだけである。
特にきみに関心をもっているわけではない。
今日は雲が低いね、と述べたり、風が少し湿気っているようだ、と述べるのと同じで、特に意味がある行為ですらない。

それなのにきみが「自分がやっていることはそんなにおかしいのだろうか?」「自分は他人からみると異様なことをしているのではないか?」と往々にして思い悩むのは、落ち着いて考えれば、きみの母親がきみが目をさましているあいだじゅう、絶えずきみに関心をもって、きみが楽しそうであれば一緒に喜び、むづかれば周章して、大慌てでだき抱えてあやしてくれたからだろう。

おどろくべし、きみは18歳をすぎてなお、世界を母親の投影として眺めている。

若い人間が社会に第一歩を踏む出すとき、そこから先の一生にとって最も有用な知識は、「世界は基本的に自分に対して関心などもっていないのだ」ということであると思う。
ぼくは女びとと結婚して子供までいるのに、「愛情は絶対でない」と言ったさびしい男を知っている。
ペンザンスという町の、断崖に近いパブで、1パイントのブラウンエールを飲んだあとだったが、しかし明瞭にその男は「あげつらうほどの愛情など男と女には存在しない」とぼくに向かって述べたのだった。
ぼくは鳶色のおおきな目を見開くようにして自分の夫を懸命に見つめる癖のあるその男の奥さんを思い出して、胸のどこかで痛点になにかが触れたような小さな、でも鋭い痛みを感じたような気がして、なにかに向かって傷口がひらいてしまったような気持ちになったものだった。

恋愛論というような観念からはいって、ヒマな人間特有の思考上の堂々巡りをして遊ぶのならばそれでもよいが、現実世界では、この男はまず「世界が自分に対して関心などもっていない」という第一原則を忘れているのだと思う。

なんとかして自分の内側をみつめただけでつくった、というのは自分の心から世間の反映を注意深く取り除いた作品を売ることだけで生きたいと願う芸術家が最もよく知っていることだが、世界はきみの突出してはいるけれどもささやかな人格や才能になどこれっぽっちも興味をもっていない。
いまは職業的な彫刻家になっているが、六年間ニューヨークで苦闘しなければならなかったぼくの友達は、自分が持ち込んだ作品を前に、まだ自分が背を向けないうちに画廊主が自分の名刺をゴミ箱に放り込むのを何度も目撃しなければならなかった。
「きみの作品はすぐれてはいるが、ただそれだけだ」
「もっとおおきな名前と一緒にもどってきてくれたまえ」

自分の魂を目に見える形や耳に聞こえる音楽に変える才能に恵まれた人間にとっては「世界が自分になど関心をもっていない」のは、ほとんど自明のことであると思う。
ただ才能のない大多数の人間だけが、自分に対して世界が、良きにつけ悪しきにつけ関心をもっているのだと妄想する姿は、奇妙だがありふれた光景であると思う。

きみが美しい若い女なら裸になってみせるということはできる。
欲望をむきだしにした哀れな顔の男たちが、くいいるようにきみの裸体を眺めるだろう。
だが、そうやってきみが世界をおどろかせたつもりになっていられるのも、男達が関心をもっているのは彼等自身の欲望であって、きみではないことに気が付くまでのことである。
それに気づいたあと、それを男達の自分自身の欲望に対する関心でなく、自分への関心であると当の男達に誤解させて、自分への関心をつくりあげていくことも出来るが、それはまた別の事柄に属する。

世界が自分に関心をもっているかもしれないと漠然と考える哀れな男や女は、だから愛情ということを理解できないで死ぬだろう。
個人に対して関心をもつという機能をもたないこの人間の世界は、世界、というよりは実は一個の「条件」にしかすぎないが、奇妙な観念にとらわれたきみをじっと見つめているきみの伴侶の心配を露わにした顔に気づきもしないで、きみは窓を開けて、世界からきみの姿が見えるようにする。
誰もきみなどみていないことに気づきもしないで。

T.S.Eliotが生み出したアルフレード・プルーフロックは、

I shall wear the bottoms of my trousers rolled.

Shall I part my hair behind? Do I dare to eat a peach?
I shall wear flannel trousers,and walk upon the beach.
と自虐的な科白を述べたあとで、

I have heard the mermaids singing, each to each.

I do not think that they will sing to me.
と言っている。

歴史上、さまざまなひとがさまざまな形で、「遠くから聞こえる声」について述べてきた。
それは宇宙が自分に対して無関心であるという明瞭な、しかし不可知な事実に気づいた科学者が呆然として自分の研究の余白に書き記した言葉であることもあれば、聖職者が絶望のあまり書き付けた荒々しい文字である場合もある。
いずれの場合も、微かな声を聴くようになりはじめるひとびとは、世界が諸条件にしかすぎない、ということを認めて、世界を認識するためのスタート地点にたったという共通点をもっている。

それを絶望と呼ぶ人もいれば、単なる認識の原点であるとみなすひともいるだろうが、どちらの観点に立つかは、どっちにしろ、ぼくにはあまり関心がない。
聴き取りにくい声を聴いて、自分の心のどこかに書き留めておこうという、極小な志があるだけのことのようにみえる。
多分、それだけが世界というものに意思をもたせるためのゆいいつの有効な方法だと思っているからなのかもしれません。

05/03/2013

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